テヘラン金曜礼拝導師、離婚の増加を批判「見た目やお金を結婚の基準にするのはよくない」(1)
2015年09月11日付 Jam-e Jam 紙

【ジャーメ・ジャム・オンライン】テヘラン臨時金曜礼拝導師は国内で離婚が増加していることを批判した上で、「伴侶を選ぶ際に軸となるもの、あるいは基準はイスラームであり、相手の信仰心であるべきだ。残念ながら、伴侶を選ぶ際の軸となるものを、その他のことに置いている人が多すぎる。例えば、相手の見た目がいいとか、お金があるとかいったことを考慮に入れているが、それは正しくない」と述べた。

 アーヤトッラー・モハンマド・アリー・モヴァッヘディー=ケルマーニーは、次のように言明した。

結婚とはきわめて重要なことであり、それについては何時間も、もしかしたら何日もかけて語るべき事柄である。預言者は結婚について、男女は伴侶を選ぶ際の軸となるもの、あるいは基準をイスラーム、そして相手の信仰心とすべきであり、男女は革命的な気持ちの持ち主であるべきであり、また互いの状況をよく理解し、互いに対する不正義を避けなければならないことを説いた。こうしたことこそ基準である。残念ながら、伴侶を選ぶ際の軸となるものを、その他のことに置いている人が多すぎる。例えば、相手の見た目がいいとか、お金があるとかいったことを考慮に入れているが、それは正しくない。

 同師はまた、次のように指摘した。

こうしたことが原因で、我が国では離婚が増えてしまっている。生活の軸となるものが物質的な事柄になると、ちょっとした苦しみで生活は崩壊してしまう。しばらく前のことだが、一日に500件もの離婚が国内で発生しているということが、メディアで伝えられていた。つまり4件の結婚のうち1件が離婚へと至ってしまっているのだ。今日の生活で軸となるもの、あるいは基準が物質的な事柄、現世的な享楽になっているため、ちょっとでもこうした現世的享楽にダメージが及ぶと、離婚となってしまう。それも協議離婚である。実に驚くべきことだ。

 テヘラン臨時金曜礼拝導師は演説の続きで、次のように指摘した。

協議離婚でもっとも侵害されるのは妻の権利である。夫婦は生活における物欲や辛抱のなさを抑えるべきだ。自分の願望に沿わないことが起きたからといって、すぐに離婚を求めるべきではない。果たして、これが人生というものなのだろうか。では辛抱や我慢はどうなるというのか。


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( 翻訳者:HSH )
( 記事ID:39644 )