コラム:革命から5年を経たイエメン
2016年02月11日付 al-Quds al-Arabi 紙
■革命から5年が経ったイエメン:サナアへの道のりは長い
イエメン中部の都市タイズでは、アリー・アブドゥッラー・サーリフ大統領を放逐した「2月11日」革命から5年が経ったことを記念し大規模な民衆パレードが行われ、何百もの市民がひしめき合う集会の場は標語を示すプラカードや横断幕で満たされた。その一方で、イエメンの合法的軍隊は、首都サナアを包囲し前大統領派とフースィー派同盟軍による支配を終了させるために進撃している。
イエメンの最も重要な都市、サナア、タイズ、アデンの政治社会地理学的関係性を理解することなくして、この2つの出来事を結びつける深い意味を認識することはできない。
タイズはかつて、そして今もなお、同地から端を発した革命において重要な役割を果たしている。それ故に、サーリフ派とフースィー派の同盟軍は、同市に対し包囲や兵糧攻め、無差別爆撃を行うのである。
タイズはイエメン文化形成の主軸であり、多数の公務員、政党指導者たち、政治やメディア分野でのエリートたちを輩出してきた。さらにサナア自体で起きた革命的出来事は、そのほとんどにタイズ出身の大学生らが参加していた。イエメン中央部という地理的条件と南北の分離線上に存在するということに加え、一部の政治家やメディア関係者の間では統一主義の考え方が広まっている。その考え方によって、住民の大多数がスンナ派シャフィーイー学派を信奉しているタイズが、同時に、ハーディー・ビン・フセインの墓とザイド派(訳注:フースィー勢力が属するシーア派イスラームの一派)指導者たちの霊廟を有するザイド派の精神的支柱として認められる。
サナアが、軍と治安部隊と諸部族のバランスの上に成り立っているイエメン国家の諸機関の中心である一方、タイズは都会的近代的側面を代表しており、「深い国」*に根差した部族と宗派の結びつきを克服し、正義や発展の条件に満ちた近代的国家を樹立することに野心的である。
(後略)
【訳注】「深い国」=
deep state。国の公的政治制度に必ずしも従わず、伝統的影響力を行使する反民主的な一部の機関や勢力。
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( 翻訳者:内海菜生 )
( 記事ID:39839 )