レバノン:若者間の刺殺事件の詳細
2016年02月18日付 Al-Nahar 紙


■ マルセリーノ氏の遺族と治安筋が殺人事件の詳細を本紙に語る

【本紙:アスラール・シャバールー】

マルセリーノ・ザマーター氏は自宅での夕食を終え、婚約者のステファニー・サアドと共に菓子を買いに出かけた。しかしながら彼は、目的地を誤った。サースィーン広場の信号機の前で停止していた最中、通りすがりの少年及びその仲間と言い争いになり、歩道前(正確には政党「レバノン軍団」の本部の目の前)での殴り合いへと発展した。最終的に、マルセリーノはナイフで刺され、この世を去ることになったのである。このような結果になろうとは、マルセリーノはよもや予期していなかったことだろう。

建物の3階に家族が住むアシュラフィーエ地区の通りは静寂に包まれていた。妻の死後、息子マルセリーノとその妹の教育に人生を捧げてきた父サヒールの自宅には、男女問わず人々が慰問に集まった。サヒール氏はショックを受けており、たった昨日まで談笑し、家族のために出かけた息子から菓子を受け取り、ともに夜を過ごはずだった最中、突然愛する者を失う苦しみを味わったことが、未だに信じられない様子であった。

「刺されたのは私だ」。父サヒールは運命の残酷さに声をつまらせ、目に涙を浮かべながら本紙に語った。「息子の命は決して無駄ではなく、犯人はいずれ殺されるだろう。サースィーン広場で息子に対して行ったことは処刑に値する」。彼は少し沈黙した後のち、幼い頃から故人をどう育ててきたか、いかに兄妹のために人生を捧げてきたかを思い出しながら呟き、こう言った。「私は息子が2歳の時に妻を亡くし、それ以降結婚はしなかった。マルセリーノと妹マリアンは私の人生そのものだった。私は息子を涙と共に育てたが、彼が大学を卒業した時や、婚約した時は嬉しかった。孫を見る日を楽しみにしていたが、突然息子を奪われ、ナイフが私の夢をズタズタに引き裂いた。刺されたのは私の心だった」。

慰問者達は、2015年9月のジョルジュ・リーフ殺害事件から、コンピュータ・プログラミングで学位を取得し、父の所有する清掃会社で働いていたマルセリーノの殺害事件まで、数々の犯罪を許した治安当局に不満を抱いている。彼らの一人はこう問いかける。「手を血まみれにしたレバノン人が無事帰宅できるかどうか分からない状況はどこまで続くのだろう。法律が犯罪の防止に役立つのはいつのことだろう」。

事件は昨晩7時半頃、アシュラフィーエにある「レバノン軍団」本部の前で起きた。当時オフィスにいた人々は同僚に帰宅を促していた。マルセリーノの婚約者の妹であるエリッサは本紙に以下のように語った。「2人の犯人はサースィーン広場の信号機に向かって歩いており、そこにマルセリーノが赤信号で止まっていました。姉は2人の若者とマルセリーノの間に、侮辱の言葉なんて一切聞いていませんし、彼女から攻撃的な言葉もありませんでした。しかし信号が青になった時、犯人が目の前に飛び出してきたのです。マルセリーノは車を止めて降りました。その瞬間に犯人はマルセリーノの心臓と脇をナイフで刺しました。彼は地面に崩れ落ち、即死したのです」。

国内治安部隊筋は本紙に以下のように述べた。「被害者がレバノン人の若者ハサンを殴った後、両者の口論が殴り合いに発展した。そして、ハサンの友人であるパレスチナ人のアフマドがマルセリーノにナイフで致命傷を与えた」。また同筋は、「捜査は直ちに開始され、アシュラフィーエの小隊によって2人の犯人は逮捕されている。事件についての取り調べが始まっており、我々は明日出される予定の法医鑑定書を待っている」と加えた。

マルセリーノの遺体は明日、アシュラフィーエのメルキテ・カトリック教会で追悼礼拝が執り行われた後、ラアス・ナバア墓地に埋葬される予定である。父親は花婿の最後の別れに出席するよう皆に呼び掛けた。

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( 翻訳者:木戸皓平 )
( 記事ID:39871 )