Ahmet Hakanコラム:ギュレン教団、敗北の10の理由
2016年03月08日付 Hurriyet 紙
1.ギュレン教団は、政治的権力、そして国家と結びつきが強すぎて、政治的権力・国家が背後から退くと、その敗北は避けられないものとなった。
2.トルコでは国家も政治権力も、誰ひとりとして自由にさせない。すべてのことに対して干渉するのである。このような国において宗教的教団が国家に寄り添いたいと願うことはある程度やむを得ない。しかし、ギュレン教団はこれをあまりにも拡張した。国家の近くにいることにとどまらず、奪おうと試みたのだ。
3.ギュレン教団は、他のどの宗教的教団もが足を踏み入れなかったことへと足を踏み入れた。新世代は想像をめぐらし、国家をデリケートな部分から奪おうと試みた。そして社会をあらゆる領域において全体的に管理下に置こうとした。目的が大きくなるほど、その崩壊も大きくなった。
4.西洋の「穏健派イスラーム計画」への支援はずっと続くであろうと考えたのがギュレン教団だ。だが西洋の「穏健派イスラーム」政策は、特に「イフワーン」の体験後に変わった。西洋は「穏健派イスラーム」政策を主張する演者たちをもはや民主主義の活力としてみておらず、すべてを疑いの目で見ていて、これにはギュレン教団も含まれる。
5.ギュレン教団はすべての戦略を、すべての精力を、すべての決意を国家の頂点を奪い取るために用いた。国民を気にかけていなかったのだ。この欠点のために、必要であった社会の支持をまったく得られなかった。
6.私たちのような社会は常に強力な者の側につく。このため帰属的関係はあまり発達しない。ギュレン教団にとっても状況はこのようになった。力を失うと周りには誰もいなくなった。
7.ギュレン教団が掲げていた原則があった。国家主義、国民主義のような…。政治権力はこの原則を即座に訴え、これをギュレン教団から奪ったのだ。
8.保守的有権者がオザル以降発展させた「私の役人は何をするべきかわかっている」「蜂蜜をもつ者はその指をなめる」という考えを好み、これに非常に馴染んでいたことに、ギュレン教団は注意を払わなかった。不正を訴えて政府を倒せると考えていたのだ。
9.法が自身の手中にあるとき、これを使って望む環境を作ろうとした。不正を行うと共に、法を自身の政治構想のおもちゃのように扱っていた。こうして今日、自身に対して行われている手法を自らが作ることになったのだ。自らの調整で弄んでいた秤は、今日、自身を量ることになった。
10.政治権力と結んで手にした権力に必要以上に重きを置いた。同盟が壊れたら、権力を失うであろうと考えが及ばなかった。
この記事の原文はこちら
( 翻訳者:大畠梨紗子 )
( 記事ID:40012 )