アルジェリア:伝統的衣服「ハーイク」保存のため女性たちが行進
2016年03月31日付 al-Hayat 紙


■アルジェリア人女性の視覚的アイデンティティーである「ハーイク」はその遺産の保存と格闘している

【アルジェ:アミーン・ルーニースィー】

白い衣をまとったアルジェリアの女性たちが同国の首都中心部において良き時代への郷愁を新たにした。その「ハーイク」と呼ばれる衣は、30年以上前の伝統的な衣服であり、当時女性がもつ上品さの象徴であった。その後、ヒジャーブや現代的な衣服の登場によって、それは単なる記憶へと変化してしまった。

ハーイクの着用は年配の女性に限られるようになり、アルジェリアが1990年代の「暗黒の10年」から脱した後は、生存と格闘するようになった。しかし、時折アルジェリアの首都や内陸のいくつかの街では18歳から45歳の女性たちが消滅へと向かう伝統的遺産を再生させるべく、ハーイクをまとい微笑みを浮かべながら行進する姿がみられる。それは、カスバ地区から中央郵便局の歴史的建造物とオダン広場へと至る(首都アルジェの)旧市街の風物詩となっている。

女性が頭、顔、そして全身を覆うために着用するハーイクの起源はオスマン・トルコ時代にまでさかのぼる。元々はアンダルス(イベリア半島のイスラーム圏)の女性たちの衣服であったものが、16世紀初めにアンダルス難民によってマグリブ地方にもたらされ、その後色の多様性を伴いながらアルジェリアの東部と中心部の間の地方において広まった。

民衆の間に伝わる話によれば、アルジェリア東部の女性は白いハーイクを着ていたが、18世紀にこの地域を統治していたオスマン官僚サーリフ・ベイが殺害されると、その死を悲しんで黒い外套(黒いハーイク)を着たという。この黒いハーイクは今日では一部の年配の女性のみが着用している。17世紀のスペイン人歴史家ディエゴ・ハーイドはその著書『アルジェリアの首都の地理』の中で、それをやわらかい羊毛、または毛織物・絹織物でできた長くゆったりとした外套、と描写した。

(後略)

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( 翻訳者:後藤望 )
( 記事ID:40190 )