■エジプト:アズハルはいかにしてアラビア語の砦たり得たのか?
【カイロ:サラーフ・ハサン・ラシード】
雑誌『リサーラ』の創刊者であり、近代期の雄弁術の持ち主の一人でもある博学者アフマド・ハサン・ザイヤート(1886–1968)の激動の人生において、アズハル学院は文化復興と教育の本拠としての歴史を歩んできた。アズハルは、古今を通じて占領に対する抵抗運動の発火点であり、フスハー〔正則アラビア語〕の灯火を掲げ、その美麗と聖徳を発信してきた。
私たちは、ザイヤートが遺したものから、アズハルの栄光と誇りの1ページを読み取ることができる。彼は以下のように述べている。
「アズハルと聞いて頭に浮かぶイメージは、宗教諸学と言語が教授されるイスラーム的大学のそれである。だが、もし思慮深く注意深い信仰者がいて、アズハルについて思い起こし、あるいは、そこに足を踏み入れたならば、そしてその者の内面においてアズハルの輝かしい過去とその祝賀すべき歴史との精神的なつながりに準備がなされていたならば、アズハルに関するその者の思考に、さまざまな徴と記憶と幻が立ち現れ、その魂を謙譲と荘厳と魅力で満たすことだろう。アズハルというのは、数々の天才と大モスクを指す言葉のひとつであり、その語義は何かを理解し、注意深く観察することを指し、その意味は何かを光で照らし、神感を与えることである。それは、時間であり、場所であり、宗教であり、現世であり、歴史である。
アズハルが意味するものとは、イスラームを広める大道に高く建てられた灯台に他ならない。アズハルは、揺れ動く大地にその礎を堅固に築き、吹き荒れる風のなかでその光を広め、苦難と戦いのなかにあるイスラームの諸国民を、無事と尊厳と統一の出会う場へと導いたのだ。」
私は皆さんに、ザイヤートの姿を多年に及ぶその教養とアズハルに関する歴史・文明・人員・科学についての広範な知識〔から理解し直すこと〕を助けてきた。彼はこう述べている。
「アズハルがアラビア語を発達させることができたのは、聖クルアーンがアラビア語を発達させていたことに由来する。アラビア語の音の響きの甘美さ、文法構造の緻密さ、表現の明瞭さ、論理性の強固さ、意味の豊かさなどはその一部である。クルアーンはまた詩と文学に関する学問の近代化を推し進めた。これらの学問はその内容を文法と辞書を通じて保持しており、さらに語彙論や述語論にその領域を広げている。同様に、構文論と語形論、語源論は文法上の誤りを取り除くため、意味論と比喩論、修辞法はクルアーンの解釈を定めるために行われてきた。語学と文学にはクルアーンに固有の言葉を解釈し、その問題点を明らかにすることが課された。そしてハディース学と神学、法学、クルアーン解釈学は、クルアーンからイスラーム法の諸規則を導き出すためのものである。
クルアーンは、アラビア語によってあらゆる人の舌の上でひとつになり、クルアーンとともにあらゆる場所にアラビア語を広め、14世紀弱の間にわたってアラビア語を維持してきた。アラビア語は、廃れてもいなければ、使われなくなってもいない。変化もしていない。「クルアーンを下したのはこの私で、クルアーンを守っていくのもこの私だ」という高貴なるアッラーの言葉に確証されているように、クルアーンを守ることためには、その言葉を守っていく必要がある。
天与・地上の諸宗教の歴史をよく見てみても、それを通じて下された、あるいは、それによって書き下された言葉を持ち続けている宗教は、東の果てから西の果てまで見ても、1380年にわたるなかでも、そしていまに至るまでその言葉の力と新しさ、統一性と固有性を保っているという点でも、イスラームという宗教とアラブの言語以外には見つけられないのだ。」
(後略)
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( 翻訳者:高寺葵 )
( 記事ID:40241 )