1980年代に小さな菓子屋として始まったMADOは、今日トルコで最も価値ある食品ブランドとして名を連ねている。
カンブル家のオーナー企業、ヤシャル食品系列のMADOは、創業した都市の伝統食品であるドンドゥルマ(トルコアイス)をトルコ全土に知らしめるという大きな役割を担った。
エコノミスト誌によると、現時点で国内外300近い店舗を展開しているMADOは、ドンドゥルマを含む巨大食品チェーンである。
<写真>1980年に開業したヤシャル洋菓子店はMADOの設立にも携わった。
親会社であるヤシャル食品は、近年パートナーシップ協定について有力な投資企業の注目を集めていることで知られ、経営陣が去年の夏から商談を始めていることも公表されている。
ヤシャル食品ドンドゥルマ部門取締役会長のメフメト・カンブル氏は、株の売却に関して、あるファンドと合意に至った。ファンドが少数の株を購入し、ヤシャル食品ドンドゥルマ部門と提携することが明らかとなった。
合意に関しては近日中に発表されることも添えておこう。ヤシャル食品の新たな跳躍は、ヨーロッパへ向けられた。メフメト・カンブル氏を含む5人のパートナーがM-ヨーロッパ傘下で一同に会し、MADOのギリシアをはじめとしたヨーロッパへの進出において、第一歩が踏み出された。
■25平米の店舗からのはじまり
マラシュ・ドンドゥルマと旅するMADOの冒険は、25平方メートルの店舗から始まる。1962年に設立されたヤシャル・ドンドゥルマの第1号店では、マラシュ県のアフル山から運んだ雪を、すぐに溶けてしまわないように小麦や米の殻を使用して保存した。
手動式機械で雪を回し、労力と忍耐によって加工される。職人の技はそこで光る。良い食感や味を引き出すのは、使用する材料と職人の手だ。MADOのテクノロジーへの移行の試金石となったのが、1965年にマラシュに設立された氷工場である。そして次の世代のヤシャル・カンブルが店舗を拡大する。
同年、店舗で初めて急速冷凍庫が導入された。1970年にはドンドゥルマ屋に自動機械が導入された。1980年にはトラブゾン通りでヤシャル菓子店をオープン。1989年に民営化されたトルコ酪農産業局施設の一部に組み込まれることによって生産能力をあげたMADOは、革新的な跳躍と共に急速な成長を続けている。
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( 翻訳者:入口 愛 )
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