エルドアン大統領とダヴトオール首相は、イズミト湾を横断する最後のデッキの開通式へ出席した。エルドアン大統領はイズミト湾橋の開通式で演説をし、橋の名前を発表した。
2013年に基礎工事が始まり、イズミト湾のネックレスと位置づけられる湾横断橋の最後のデッキが昨日、ヤロヴァ県が主催し、レジェプ・タイイプ・エルドアン大統領、アフメト・ダヴトオール首相、ビナリ・ユルドゥルム交通海事通信相も臨席した式典で取り付けられた。イスタンブルとイズミルの間を3.5時間に短縮するゲブゼ・オルハンガーズィー・イズミル高速の最も重要な足であるイズミト湾横断橋の最後のボルトを、ヤヴズ・スルタン・セリム橋でもそうであったように、エルドアン大統領、ダウトオール首相、ユルドゥルム大臣が一緒に締めた。橋はラマザン・バイラム前に開通する計画だ。橋には今日までに112のデッキが配置されており、113個目のデッキが取り付けられたことで、2,682メートルの橋は歩いて渡れる状態になった。高速道路のアルトゥンオヴァ・ゲムリキ間にある40kmの区間も、式典が行われて開通された。
■数万人が集まる
レジェプ・タイイプ・エルドアン大統領とアフメト・ダヴトオール首相は、昨日イスタンブル・イズミル高速湾横断橋の最後のデッキを配置する式典と、アルトゥンオヴァ・ゲムリキ高速道路の開通式に参加するためヤロヴァ県にいた。式典のため高速道路に設置された場所に、数時間前から数千人の市民が集まった。式典は、アルトゥンオヴァ側にある橋脚地点で開催された。
エルドアン大統領は開通式でおこなった演説において、橋が2023プロジェクトの中で最初に完了されたものであることを指摘し、以下のように話した。
「これはトルコの高速道路だ。たった今、40kmの区間の開通が実現し、この橋も最後のデッキのボルトを締めれば来月末に開通します。これらはこの地方の交通を大きく緩和するでしょう。バイラムの渋滞を皆さん覚えているでしょう。もうそのようなことは起こりません、すべては過去の歴史になるでしょう。ゲブゼからゲムリクまでの13km区間は来月末に開通する。50分かかっていた時間が20分に短縮されます。アルトゥンオヴァ・ゲムリク間は1時間から1時間半かかっていたが6分に短縮した。時は金なりと偉人は言います。これが経済です、経済を理解することです。我々は時間をお金に変えるのです。昔ゲブゼからディロバスまで2時間半かけて行った車は、30分以下の時間で往復できるようになります。」
エルドアン大統領、ダヴトオール首相、ユルドゥルム大臣と随行員らは、トルコと日本の旗が掲げられている橋の上から、最後のデッキの取り付けが行われる地点へ歩いた。その後エルドアン大統領、ダヴトオール首相、ユルドゥルム大臣は最後のデッキのボルトを締めた。エルドアン大統領は、最後のボルトを締めたスパナを、記念品として受取った。このとき開通式では特別な6つの真鍮から作られたスパナとボルト、ナットが使われた。また、エルドアン大統領とその随行員らはヘルメットを着用し、専用に準備されたジャケットを着ていた。
■6分で湾を渡る
-イスタンブル・イズミル高速の最も重要な基部であるイズミト湾横断橋の開通とともに、イスタンブルとイズミル間の距離が3時間半に短縮した。
-イズミトのディロバスとヤロヴァのヘルツェゴビナ岬間に作られ、11億ドルをかけた橋は、長さ 1,550mで、世界で4番目に大きな吊り橋という特徴をもっている。
-合計すると2,682mの長さをもつ橋は、柱の高さが252mでデッキの幅は35.93mである。
-橋は、3つの入り口と3つの出口を備え、合計6車線あり、さらにもう1つ車線が増える。
-湾横断橋が完成したことにより、現在湾周りで2時間、フェリーで1時間かかる湾移動時間が平均6分に短縮する。開通によりトルコ経済に年間165億ドルの節約をもらたすだろう。
-橋の通行料は35ドル+税だ。90億ドルのの費用を掛けたプロジェクトは、計画よりも2年早い2018年に完了する。
-国は135億リラを出費し、このほとんどは土地の収用にあてられた。デッキ取り付けのあと、エルドアン大統領とダヴトオール首相は、作業員らと写真撮影に臨んだ。
■オスマン・ガーズィー橋
エルドアン大統領は待望の橋の名前を演説の最後に発表し、以下のように述べた。
「橋の名前について協議を行いました。我々は祝福された歴史の後継者であり、この素晴らしい歴史的建築物を未来へこのままつないでいく事が、今の世代の役目です。我々は、親愛なる首相、大臣と一緒に考え、オスマン・ガーズィー橋と名づけました。相応しい名前か、素晴らしい名前かを議論しました。オスマン・ガーズィーからの我々への遺産ではないでしょうか?オスマン・ガーズィー橋はオルハンガーズィーとつながっている※。橋の開通、おめでとう。」
※訳注:オスマン・ガーズィーはオスマン朝創始者の名前。オルハンはその息子で2代皇帝の名。
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( 翻訳者:福永千夏 )
( 記事ID:40311 )