■職場でのハラスメントを恥に支えられ……女性たちは沈黙するばかり
【カイロ:アミーナ・ハイリー】
同僚、上司、管理職、雇用主。彼らは一様に誘いを帯びた目つきをしている。もしかしたら彼らは、単なる誘い以上のこと、〔女性の身体への〕接触をも行っているかもしれない。彼らはそうしたことを行いながら、女性たちが誰一人として男性を責めたり、罰したりすることがないことを確信している。女性たちもまた、こうした目に遭いながら、誰一人として彼女たちの声に耳を傾けることなどないことを確信している。いわんや、誰かが彼女たちを守ったり、公平に扱ったりすることなどない。誰が女性に明確でわかりやすいメッセージを送るというのだろうか。「あなたが女性であるということは、職場においてあなたをとりかこむ男性たちの視線や妄想や手によるひと触りが許されることを意味しない」などとは〔誰も言わないだろう〕。
職場は、生産の場としてだけでなく、女性へのハラスメントの場としても豊かで肥沃な土地である。ここで言う女性とは、無限定に、女性全般を指している。年齢や階層、社会的地位、教育水準、着ている服の種類は問わない。体が小さいか大きいか、細身か豊満か、教育を受けているかいないか、結婚しているか離婚しているか、20歳以下か50歳以上かにかかわらず、すべての女性がハラスメントに遭っている。
ハラスメントされる者は沈黙を強要され、ハラスメントする者は多くの場合、女性に責任を押し付ける。たとえば、「女性が男性を誘った」とか、「女性の服装が慎み深いものでなかった」とか、「労働市場に出てきたということは、女性が拒まないことの証拠だ」とか、「もっとも厳しい誓いにかけて、男性はそのようなことをしていないと言っている。むしろ、それは女性の頭の中でつくり出されたもので、彼女は正気を失っているか、慎み深くないか、あるいは彼女自身、誰かにハラスメントされることを望んでいるのだ」などと言われる。
これは、驚くべき奇妙で信じられない構造である。しかしこれは、エジプト人女性が職場でさらされているハラスメント問題においてよくあることで、よく知られており、これについて沈黙されてきた。社会の統合失調症の責任は女性に負わされる。男性は哀れで無罪、何の力も持たないとみなされる。彼らはホルモンの奴隷にすぎず、欲望の前では意思の力が奪われてしまうからである。女性がするべきことは、自らを大切にすること、そしてこの考えにもとづいて、女性の生のあり方を立て直すことである。
(後略)
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( 翻訳者:松本悠里子 )
( 記事ID:40320 )