IS(イスラム国)がシリアのパルミラ古代都市で行った破壊行為と同様のことがこのところアナトリアでも起こっている。2000年の歴史を持つ遺跡にある人物像はのみやドリル、酸やダイナマイトで消し去られている。ここ数年でフリギア時代から残る5つの大きなキュベレー神像が破壊されたアフヨンでは、ダイナマイトで爆破された碑文の隣に次のように書かれた。「霧を打ち払い、信仰を持て」。破壊を近くから見ていた考古学者で編集者のネズィフ・バシュゲレン氏とともに、イズミルとアフヨンで破壊行為にさらされた遺跡を訪れた。
■カラベル遺跡 ヒッタイトの西端に繰り返しの攻撃
ここはヒッタイト帝国の西の国境を示す唯一の証拠だった。3300年前の王のレリーフとヒエログリフがここにあった。アナトリアの最古の言語はここで読まれた。
・所在地:イズミル、ケマルパシャ-トルバル自動車道のそば
・なぜ重要か:高く険しい丘に囲まれた古代ミラ王国の入口で岩に掘られた3300年前のタルカスナヴァ王のレリーフは、長年議論されていたヒッタイト帝国の西の国境を示す唯一の証拠だ。西の方でアナトリアの有名な最古の言語であるルウィ語を見ることができる最も重要な遺跡だ。レリーフのそばには王を紹介するヒエログリフがあった。1839年にフランス人旅行者シャルル・テキシエが発見したこの遺跡の重要性は、4年後にチョルム県ボアズキョイ郡のレリーフとの類異性が発見されたことで明らかになった。
・何が起こったのか:数年前、遺跡にまず酸が投げられた。その後そこにあった大きな岩が端から端まで酸で溶かされた。おそらくはダイナマイトを設置するために、のみで10センチメートルの穴が開けられた。碑文とレリーフの詳細は失われた。遺跡の前で出会ったイズミルの住人は、5年前には地面に羊の頭と蛇のレリーフがあったと話すが、それも失われていた。山道を敵から守るため作られた2つ目のレリーフと碑文は、1977年に道路建設のため破壊されていた。
■ドリルで掘削―キュチュク・カプカヤ ダイナマイトから守られていた
・所在地:アフヨン県イフサニイェ郡ドエル町とレエン村の間
・なぜ重要か:約2600年前のこの宗教遺跡は、アナトリアの共通のシンボルである多産の女神キュベレーの珍しい初期の表現の一つだった。
・何が起こったのか:岩の中にある墓を探すトレジャーハンターがダイナマイトで上部を吹き飛ばした。キュベレー像のそばにドリルで穴を開け、後ろに別の区分けがあるかどうかを確認した。これらの破壊行為のすべてから守られた遺跡は、最近刃のついたドリルで完璧に掘り返された。
■深い切り込みが開けられた―ビュユク・カプカヤ 何も残らなかった
・所在地:アフヨン県イフサニイェ郡ウチュレルカヤ村近辺
・なぜ重要か:岩に掘られた古代の馬車道のそばにある、そのタイプの珍しい例である路上の神殿は約2700年前のものだった。一枚岩の表面に幾何学的なデザインが施され、内部には窓にキュベレーのレリーフが作られていた。文化観光において重要なフリギア道跡のもっとも重要な遺跡の一つだった。
・何が起こったのか:岩のキュベレーのレリーフは完全に解体された。ドリルでレリーフの足の部分に深い切り込みが開けられた。
■刃物で取り除かれた―アヤズィン、アスランル墓地 メデューサが解体
・所在地:アフヨン県イフサニイェ郡アヤズィン村入口
・なぜ重要か:フリギア芸術がローマ時代においても完全に生き残っていたことを示す1800年前の家族の墓は、優れた技術によって作られた像が独特な作品だ。
・何が起こったのか:入口の扉の上には大きなメデューサ、両側には2体の獅子、上部には小さなメデューサ像があった。これらのメデューサ像が物で取り除かれた。墓室の扉の内側の表面の両側にあったローマの衣装をまとった女性と男性の2体の像はドリルで、扉の内側の表面上部のメデューサ像は刃物で取り除かれた。
■ドリルで破壊―アスランカヤ アフヨンを世界的に有名に
・所在地:アフヨンのフリギア高原として知られる地域にある。ドエル村の中。
・なぜ重要か:高さ20メートルのこのフリギア遺跡は2600年前のものだ。開かれた扉の後ろと横に2体の獅子と女神キュベレーがいた。遺跡の建築要素は古代ギリシャをはじめする多くの文明にとって神殿建築の先駆けとなった。(記事原文の)写真はアフヨンを国際的に紹介する際に使われている。
・何が起こったのか:1995年に表面がダイナマイトで爆破され、今回はドリルによる破壊行為にさらされた。レリーフの足の部分に深い穴が開けられ、天井に伸びる浮き彫りが破壊された。
■ダイナマイトで爆破―ユランタシュ 襲撃者のサインが岩に
・所在地:アフヨン県イフサニイェ郡カユハン村ギョイニュシュ谷遺跡
・なぜ重要か:アスランタシュ、マルタシュといったフリギアの王の墓がある地域にあり、ユランタシュのそばにある碑文はこれらの構造を理解するヒントを含んでいた。
・何が起こったのか:ダイナマイトで爆破された碑文は解読不能な状態までばらばらにされた。襲撃者らは、碑文から20メートルの距離の道のわきにある大きな石の上に、高さ約1.5メートル、幅2.5メートルの場所に青のペンキで次のようなメッセージを記した。「霧を打ち払い、信仰を持て。」
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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:40325 )