■エジプトの若者:公的な参入と法的な疎外の間で
【カイロ:アミーナ・ハイリー】
エジプトでは、若者をめぐる駆け引きや議論、第三者の意見からなる空虚な話し合いが繰り返されてきた。若者はエジプトの人口の半数以上を占め、あるときには「希望や未来」、多くの場合には「時限爆弾」と称される。
歴代の諸政府は、行動計画や実施機関を発表し、そのすべての実行を進めようとしてきた。これらは公的な世界への「若者の参入」あるいは「包摂」「統合」「編入」「一体化」、または、これに類する掛け声の下で行われてきた。しかし問いが残る。それは、感覚、別の言い方をすれば、恐れと呼ぶべきものかもしれない。すなわち、若者は「排除された者」「放置された者」「切除された者」「隔絶された者」、あるいは、「疎外された者」であり続けているという感覚であり、恐れである。
見解の方向性は一致せず、立場と立場の間で矛盾し、衝突しあう。ある立場はすべての責任を若者たち自身に負わせ、別の立場は体制に責任を負わせようとし、それにはあらゆる理由と口実が用いられる。この後者の見解、すなわち責任を若者自身ではなく体制に負わせる立場については、カイロ・アメリカン大学政治学部准教授のナーディーン・スィーカー博士が書いたワーキング・ペーパー「エジプトの若者統合の見せかけ」が詳細な説明と科学的な分析を示してくれるかもしれない。
スィーカー博士の述べるところによれば、フスニー・ムバーラク元大統領の時代から、さまざまな政権が若者問題に関心を示してきたが、実際の政治においては、長期的な目標や戦略のうち、わずかなものしか実施されていない。
(後略)
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( 翻訳者:兵頭輝夏 )
( 記事ID:40333 )