■文明が生み出した人工知能……なぜそれを恐れる?
【アフマド・マグリビー】
幅広い層から人気を得たあるハリウッド映画において、私たちは体の一部が機械でできている人間を目にする。その人物は、知性を備えたロボットに共感を示し、ロボットにも人間的な側面があることを確信している!そして〔人間とロボットの〕両者は協力して、地球の文明を支配しようとするロボットたちの反乱に対抗していく。
その一方で、支配する側のロボットの自滅は、人間の支配からの脱却を目指したより大きな革命の序幕のようでもある。こうして両者の関係は、質的に新しい地平へと進んでいく。この映画の「I, Robot」《私、ロボット》(監督:アレックス・プロヤス、主演:ウィル・スミス、2004年)というタイトルにもいくつかの不思議な意味がこめられている。このタイトル名には、人間とロボットの知性の相互干渉とその行く先の見えなさという劇中の基本的な思想が示されている。
この映画は、劇中でロボットが実現したものと同じものができた年に公開された。それは、最先端の人工知能のモデルで、その発展における質的な一大変化が見られた。同時期には、「オポチュニティ」と「スピリット」の2機のロボット〔探査機〕が、人間が到達したことのない火星の地表に着陸した。他方、地球上では、「ソニー」製の「QRIO」のように、商業ロボットが踊りや歌をする時代に突入した。人型ロボットの「ASIMO」は、人との対応における専門家になっている。
(後略)
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( 翻訳者:宮﨑 愛 )
( 記事ID:40417 )