ダヴトオール首相、最後の公式訪問はボスニア・ヘルツェゴビナ
2016年05月08日付 Hurriyet 紙
公正発展党臨時大会で首相を辞任する予定のアフメト・ダウトオール首相は、最後の公式訪問でボスニア・ヘルツェゴビナを訪れた。飛行機を降りる際、ダウトオールの右手に包帯が巻かれていたことが注目された。ダウトオールの手は、コンヤを訪問した際に握手をしすぎたために痛めていることが分かった。
ダウトオール首相は、ボスニア・ヘルツェゴビナの大統領評議会議長のベキル・イッゼトベゴヴィッチ氏も参加した式典で、その修復をトルコ協力開発機構(TIKA)が行ったバンヤ・ルカ市にあるフェルハディイェ(フェルハド・パシャ)モスクのテープカットを行った。宗務大臣メフメト・ギョルメズも参加した式典には、ユダヤ教徒やキリスト教徒の宗教関係者らも参加した。妻のサラと娘のハジェルが同行したダウトオールは、式典で要約すると次のように述べた:
イッゼトベゴヴィッチ氏と共に泣いた
「23年前、フェルハディイェ・モスクが無残にもダイナマイトで崩れ落ちたとき、私はマレーシアでボスニア人の学生らとその知らせを受け、心が痛んだ。偉大なる指導者で、我ら全員の指導者で、知識人であるアリヤ・イッゼトベゴヴィッチが、かの地にやってきてともに泣き、共に悲しみにくれた。今23年後にフェルハディイェ・モスクの開所式にこうして出席していることは、私が人生で味わった最も素晴らしい名誉の一つである。我々は確信している、今まさにアリヤ・イッゼトベゴヴィッチの魂もこの素晴らしい出来事を聞き及んでいるであろうことを。
われわれがここにどうしているかなど、誰も尋ねることなどないように。我々はかつてもここにいたし、今もいる、そしてこれからも、永遠に。ボスニア・ヘルツェゴビナをバラバラにし、分割、分断しようと思っている者たちは、もともと人間の心を割こうとしているのだ。サライェヴォのようにモスクと教会、シナゴークがともに存在するような町は、世界でもほんのわずかである。たぶん一つがサライェヴォでもう一つがイスタンブルである。
ああ、博学の師
私の話の最後に、アリヤ・イッゼトベゴヴィッチ先生に呼びかけたいと思う。素晴らしき博学の師で、最も偉大な指導者、今天国におわしますように、あなたの魂が幸せでありますように。そのために、人間としての模範を示し、あなたが実践した戦いを今日継承しているのは私たちなのです。どうか御知りおきください、このお預かりしたものを我々は最後まで保持しつづけます」。
飛行機をレンタルして向かった
ダウトオール首相はボスニア・ヘルツェゴビナへトルコ航空から借りた飛行機で向かった。トルコ共和国政府専用機は議会議長のイスマイル・カフラマンの任務で使用されており、トルコ共和国TUR飛行機は、技術上の問題でボスニアには着陸できないため、ダウトオールのために初めて飛行機が借用されたことが分かった。飛行機を降りる際、ダウトオールの右手に包帯が巻かれていたことが注目された。ダウトオールの手は、コンヤを訪問した際に握手をしすぎたために痛めていることが分かった。
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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
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