新ファースト・レディはこんな人―セミハ・ユルドゥルムさん
2016年05月22日付 Milliyet 紙
公正発展党(AKP) 第3代党首候補で首相候補のビナリ・ユルドゥルム氏の妻セミハ・ユルドゥルムは新しいファーストレディーとなろう。彼女に関し予想されうるすべての質問の答えを皆様のために収集した。さあ、新ファーストレディーのセミハ・ユルドゥルムの知られざることとは...
トルコ中が待ちかねている問題の答えが見つかった。AKP党首候補は運輸大臣でイズミル選出国会議員のビナリ・ユルドゥルム氏となった!さて、ビナリ・ユルドゥルム氏の妻セミハ・ユルドゥルムとはどのような人物だろうか?彼女に関する興味深いあらゆる問いの答えとは…。
■セミハ・ユルドゥルムはどんな人物?
ビナリ・ユルドゥルム氏の妻セミハ・ユルドゥルムさんは、エルズィンジャン県レファヒイェ区カユ村の出身で、教員を退職した人である。彼女には2人の息子エルカン・ユルドゥルムさんとアフメト・ユルドゥルムさん、娘のビュシュラ・ユルドゥルムさんがいる。
AKPの活動的な女性のうちの1人であるセミハさんは、つい最近の5月17日に行われた「ギョニュル山プロジェクト」の公表で公に姿を見せた。事実セミハさんはエルドアン大統領の妻エミネの隣に座っていた。
セミハ・ユルドゥルムさんは5月4日にアンカラ市の職業訓練教室(BELMEK)の研修生の手作り品による「手芸」展覧会に参加した。
AKP党首兼首相になると予想されているビナリ・ユルドゥルム運輸大臣の妻セミハ・ユルドゥルムさんの名前を冠して設立された「教師セミハ・ユルドゥルム小学 校」の開校式で重要なことが言及された。チェクメキョイでの開校式に妻と娘と共に参加したビナリ・ユルドゥルム大臣は、スピーチで「教員を勤めることと、知ること、 教育することは別物である。子どもたちの心のうちを理解することはさらに別物である」と述べた。
この教員の日が自分たちにとって違った意味を持つようになったと述べるユルドゥルム大臣は、「この教員の日に私の妻で教員を勤めたセミハの名前にちなんで、私の家族や子供たちが協力して設立し、トルコ国民教育に捧げたこの学校の開校を実現させた。私の内にある感情を説明するのは非常に難しい」と話した。
ユルドゥルム氏はここ10年行われ、教育にもたらされた授業の数が以前の40%になったことに言及した。政府の下で20万の授業が設けられたと強調するユルドゥルム大臣は、これらの授業のうち15万はヒュセイン・チェリッキ氏の文部大臣在任時に行われたとした。「我々は発達したトルコを築こうとする中、未来を託す子供たちが良く育つように文部省と共に当初から素晴らしい働きをしている」とし、すべての学校にブロードバンドのネット接続をし、アクセスを確保するための全国での活動が完了したと述べた。同大臣は、国中の様々な場所にある4万近い学校にブロードバンドのネットがあると強調する一方、文部省と協力して学校に情報技術の授業を設けたと述べた。
■妻がイスタンブルに辞令を受けた際に、学校を見つけられなかった
ファティフ・プロジェクトが国民教育において画期的であろうとする同大臣は、トルコがこのプロジェクトで情報化社会の仲間入りをすると述べた。ユルドゥルム大臣は数年前に起きた出来事を話してスピーチを続けた。教員である妻がイスタンブルに辞令を受けたとし、「彼女が任命された学校を探しに行った。夜になっても学校を見つけられなかった。誰も知らないというのである。後で知ったことだが、そのような学校はなかった。待機辞令というものがあるらしい、それだと人びとは言った。将来学校が作られたらそこで教員を勤めるそうだ。[それと比べると]今至った状態はどうだ」と話した。自身はその頃大学生であったという大臣は、バアジュラル・キラズル・デミルカプ小学校で教員をしていた妻がある日体調を崩し、妻の要望で彼女の代わりに学校に行った話しをした。
■先生をした思い出
ユルドゥルム大臣は、自分が教室に入ると、生徒たちは自分の言うことを聞かなかったと話した。生徒を静かにさせるために黒板をたたくと、生徒たちは授業中に声を発さず、自分と全く話してくれなかったという。学校の校長はその後彼について「先生、授業はなくていいから、ご主人が来ないようにしてください」と言って、教員とはどれほど難しいかということを説明したという。政府が教員にあらゆる点で支援していると述べた。
■セミハとは寛大な女性という意味
学校の開校式でユルドゥルム大臣に同行したヒュセイン・チェリッキAKP副党首は、大臣の妻、セミハの名前の意味が寛大な女性であると述べた。チェリッキ副党首は、ユルドゥルム夫妻の学校創設を支えた彼らの子供、ビュレント、エルカム、ビュシュラが一家にとって重要なものをもたらしたと言い、「我々が互いに祈る際、アッラーよ、よい子供をお授けくださいと言う。皆は生を享け、去る、仮初めの存在です。偉人たちが言うように、もし子供がなければ、あなたがこの世でしてきたことは、この先なくなるようなものなのです」と話した。
チェリッキ副党首は、文部大臣在任中にユルドゥルム大臣と共に力を尽くしたことに触れ、その時からなされた教育投資について次のように述べた。
「私が文部大臣在任時に、彼と共にまさに情報改革をおこなった。トルコで最も辺鄙な村や枝村に建つすべての学校にインターネットとパソコンを導入した。彼はかなりの尽力をした。今日も国民教育をかなり支援している。国民教育と科学技術とを結びつける点で彼や彼の仲間が大変努力している。」
スピーチの後、学校の開校式を行ったビナリ・ユルドゥルム大臣、妻セミハ・ユルドゥルムさん、そしてチェリッキ副党首は、教室を見てまわった。学校の会議場を見るために下の階に下りたユルドゥルム大臣とチェリッキ副党首はそこで卓球をして生き生きとした様子を見せた。
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( 翻訳者:奥村 茜 )
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