Ismet Berkanコラム:ノーベル賞アズィズ・サンジャル旋風
2016年05月27日付 Hurriyet 紙

2週間以上の長い間、トルコでアズィズ・サンジャルの科学旋風がおきていることにお気づきだろうか。

今年ノーベル化学賞を受賞したアズィズ・サンジャル教授は、コンヤからイズミルへ、アンカラからイスタンブルへ、非常に多くの都市と大学へ赴いた。ここ16~17日間で、ときには1日に6か所にのぼるほどの、自分でもちゃんと覚えていないほど多くの会議やセミナーを行った。数を覚えていないほど多くの公式な食事会や歓迎会に参加した。

合間に大統領、首相、参謀総長、多くの大学学長とも会った。ノーベル賞のメダルをアタテュルク廟へ残した。高校や大学へ行き、ある場所では自らの表現で「導入的」演説をし、ときには聴衆を笑わせ、ときには興奮させた。またある場所では、完全に科学的なセミナーを行った。

私でさえもその期間のうちに、アズィズ・サンジャル教授と2つの別の食事会で、同じテーブルに座った。短い時間ではあるが、会話もした。共和国紙の同業者であるオルハン・ブルサルは、アズィズ・サンジャル教授の人となりを書籍として執筆し、現在その初版が品切れにさえなっている。食事、会議でサンジャル教授と一緒になった点で、記録を持っているに違いない。

アズィズ・サンジャル教授は、トルコにいた期間内で20以上の会議とセミナーを行った。この全ての演説において、最後に質疑応答の時間が与えられた。例えば、一昨日はコチ大学で、昨日はサバンジュで講演を行った。この2つでは「導入的」ではなく、真面目な科学についての話しを行い、サンジャル教授の専門分野外の人にとってこれを理解することは簡単ではなかった。サバンジュに行けなかったため、そこでの講演内容については知らないが、サンジャル教授がコチでの講演の後の質疑応答に満足したことは知っている。

微生物学と遺伝学はトルコで急速に研究者がふえた2つの重要な分野であり、サンジャル教授の業績は、この分野で研究をしたいと思うすべての人にとって、教科書にも掲載され、将来をも照らす重要な試金石である。

アズィズ・サンジャル教授の「ポスト・ドクター」となる2人の生徒は現在コチ大学の教員である。そのうちの1人、ハリル・カヴァクル教授は、癌細胞をより速く殺す分子が存在すると考え、現在研究と実験を続けている。カヴァクル教授は、分子を発見するためサンジャル教授が発見したメカニズムを利用している。つまり旗は倒れず、歩み続けているのだ。

サンジャル教授が「導入的」と命名した講演の後でも、当然多くの質問がきている。これらの質問に、サンジャル教授は主に若者たちへ、科学に親しむ、よく励むよう勧めた。

もしここ数日間の新聞記事をお読みなら、アズィズ・サンジャル教授が国中で科学旋風をおこしており、科学に対する興味を増やすためにできる限りのことをし、そして多くの人にこの点で影響を及ぼしているのに気付いたはずです。

サンジャル教授と過ごした限られた時間で、周囲の人々が彼に向け、「あなたは私たちに感動を与えてくださった、ありがとうございます、先生」と言っているのを多く耳にした。イスタンブル工科大学でもコチ大学でも同様だ。サンジャル教授はハジェッテペもしくはエーゲ、イェディテペでも他の言葉を聞かなかったに違いない。

アズィズ・サンジャル教授をトルコの旅の中で最も喜ばせたのは、彼に向けたこうした関心と熱烈な歓迎のほかに、おそらく妻のグウェン・サンジャル夫人と一緒に自らの名前を帯びる財団が設けた「トルコセンター」を拡大するために必要な500~600万ドルの資金をみつける上で、トルコ経済界を牽引する有力者から取り付けた約束である。このセンターは、今日までサンジャル夫妻の限られた資金によって運営されており、ノースカロライナ大学に来るトルコ研究者へささやかな援助を提供している。サンジャル教授はノーベル賞で得た金もこのセンターへ寄付した。

アズィズ・サンジャル教授の名はトルコの多くの学校、2つの大学の研究センター、マルディンでかつて働いていた健康センターにも与えられた。昨日の本紙でもお読みのように、サンジャル教授は「これにふさわしいよう努めます」と謙虚に述べた。最後の驚きはコチ大学からもたらされた。コチ大学は、毎年マルディン出身の学生へ、コチ大学に合格できなかった、とりわけ女子学生一人に、まさに奨学金を与え、募集定員外でコチ大学で学ばせることを約束した。

アズィズ・サンジャル教授がここ16~17日間で巻き起こしたこの良好な科学旋風がずっとこの国にとどまり、より多くの若者が基礎科学に関心をもつよう祈っている。

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( 翻訳者:福永千夏 )
( 記事ID:40563 )