レバノン:子どもに武器を持たせる教育
2016年05月26日付 al-Hayat 紙

■子供に武器や猟銃を持たせる教育は軽率であり、敵意を育てる

【ベイルート:ヴェロニク・アブー・ガザーラ】

「うちの息子には男らしくなってほしい。何も恐れず、自分自身を信じてほしい。」このようにファリード氏は自身の7歳になる息子に銃を持たせる教育を正当化し、そのことをSNSに公開した写真を通して自慢している。そして「息子は私のヒーローだ」とか「子を持つ者は死なない」といった表現が文章を飾る。

レバノン内戦において避けられない死を幾度となく免れてきたファリード氏は、銃を持つことを息子に教えなければならない技術の中で最も重要なことの一つだとみなしている。「なぜなら情勢は不安定で、いつ銃が発砲されるのか、誰にもわからないからだ」と彼は述べる。戦争の不安は彼に付きまとっている。戦時中に起きていたことを思い出すたびに、どのような場所にも彼は息子を連れていった。そして射撃の訓練を始め、拳銃と狩猟用ライフルを使い始めた。しかしながら、このことは、父親がその場にいて、知っている時以外に、息子が武器を使用する可能性がないことを意味しない。すなわち、戦争の道具は家の中に存在し、その姿を隠さず、友人たちが来る時にそれを明かすことを妨げない。

ファリード氏に彼が行っていることの危険性を納得してもらうことは、ほとんど不可能のようだ。なぜなら、未来への恐れと懸念がファリード氏を駆り立て、息子が銃に対する恐怖を持たず、自信をもって武器を扱うことができるように促すからだ。このことは、大部分の住民に関しても同様である。彼らはファリード氏とは立場や派閥の所属が異なるかもしれない。しかし共通するのは、彼らが子どもたちに教えている事柄を自慢し、自分たちが正しいと信じ込み、起こりうるその影響を無視し、家の中でむき出しにされた武器が引き起こす問題がもたらした出来事から目を背けている点である。

誰が今年2月末に起きた事件を忘れることができるだろうか。その事件では、7歳の子どもがふざけて手にしていた戦闘用の拳銃を誤って発砲し、母親ファーディヤー・アリー・ザインを殺害してしまった。この悲劇はいつでも繰り返されうるものである。しかしそれにもかかわらず、銃の使用方法を子供に教えるという主張は、多くの者にとって優先すべき事柄となっている。

(後略)

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( 翻訳者:後藤 望 )
( 記事ID:40601 )