イマーム・ハティプ学校の卒業生が大学に入学できなかった時代であったため、イマーム・ハティプ学校を修了した後、エユップ・リセを経由したと語るエルドアンは、その後アクサライ経済・商業高等専門学校で勉強を始めたことを、当時難しい条件がいくつかあって学校での勉学期間を延長したこと、1981年に卒業したこと、卒業してから一年後の1982年にその学校の名前がマルマラ大学に代わったということを説明した。
エルドアンはマルマラ大学の学長メフメト・エミン・アラト教授がクラスメートであることに言及し、マルマラ大学の中核をなす学校の歴史が、1883年にまで、すなわちハミディエ高等商業学校にまでさかのぼると語った。
エルドアン大統領は、「私はこのように、歴史の古い教育施設であるマルマラ大学の卒業生であります。今日一部の者たちがまた私個人に関して『彼の卒業証書はあるのか、ないのか』といった議論を始めさせた。エミン・ベイに言いましたが、『例の個人記録を探して、資料室から取り出してくれ。それらを発表しようが、彼らに送りつけようが、好きなようにしなさい。なぜならこれらの者は私が言ったことに対しいつでも信じてこなかったし、これからも信じようとしないはずだ。あなたが学長としてこれらの者たちに送るなら、多分信じるだろう。私が入学し(登録し)、学び、そして卒業した学校は明らかだ。私のクラスメートもわかっている。さらに大学当局も正式に発表をした。こうしたことにもかかわらず一部の者たちはまだしつこくこの問題を蒸し返そうとしている。好きなようにしなさい、ロバは死してその鞍は残る、人間は死してその作品は残る。我々は作品によって、一目瞭然である』と述べた。
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( 翻訳者:トルコ語メディア翻訳班 )
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