クーデターにおける奇妙な点
2016年07月22日付 Cumhuriyet 紙

エルドアンと参謀司令本部の発表は、人々を混乱させた。

7月15日のクーデター未遂について多くの不明な点が残る中、エルドアン大統領は、夕方16時から16時半ごろに花婿から(クーデターに関する)知らせを受けたとし、またユルドゥルム首相は「妻や友人、SPらから」情報を得たと発表したことは、諜報部門をはじめとし、国家組織の弱さが露呈したといえる。

■電話をするも、連絡取れず

参謀司令本部が、午後4時に国家諜報機関(MİT)から司令部長官に情報が来たと発表した際には、MİTの事務次官や参謀総長への如何なる攻撃も脅迫も見受けられなかった。このことは、「事務次官と参謀総長はエルドアンからの電話に出なかったのか、それともエルドアンがこの2名と電話で話すことが(何者かによって)妨害されたのか?」という疑問が生じる。エルドアン大統領は、「首相とコンタクトをとるよう努めた。少々問題はあったものの、連絡がとれた」と発言したものの、ユルドゥルム首相が各政党党首らに伝えた情報によれば、彼が夜9時を過ぎてからクーデターについて情報を得たことが分かる。エルドアンは午後4時ごろ花婿と話した後に、MİTの事務次官と参謀総長に電話をし、繋がらなかったと述べている一方、ユルドゥルムにはすぐに連絡を取ったのかどうか、謎に包まれたままである。

エルドアン大統領と参謀総長による、クーデター未遂事件が発生した7月15日深夜に何が生じたかに関する発表、この件についてメディアに知らされた情報は、クーデターの晩に生じたことを明らかにする一方で、人々はますます混乱させた。各発表に基づく、矛盾点や曖昧なままの点は以下の通り:

■MİTは通達した

MİTへは、午後1時に情報が入った:公正発展党(AKP)関係者らの情報によると、MİTに最初のクーデターの準備について通報があったのは、7月15日午後1時である。あるAKP党員はこの件について、「午後1時ごろ、MİTにひとりの将校がやってきて、『全員に任務が与えられました、彼らは深夜に何かしらを行う計画をおこないます』と述べたらしい。MİTはこの件について正否を調べ、確証を得たのちに、まず事務次官補が参謀本部に向かった。その後、MİTの事務次官が向かう。フィダン事務次官が参謀本部を出た後、参謀総長が拘束される」と話した。

エルドアンはなぜ誰とも連絡が取れなかったのか?:参謀司令部の発表では、午後4時ごろのMİTからの情報が、参謀総長フルスィ・アカル大将、トルコ陸軍司令官、また副参謀総長らの参加のもとに精査されたことが明らかにされている。エルドアン大統領はロイター通信に対し、「午後4時から4時半ごろ、花婿から一本の電話を受けた。その電話で甥が、『イスタンブルで若干の問題が発生している。ベイレルベイ宮殿付近で兵士らによって道が封鎖されており、橋も同様だ』と言っていた。正直なところ、これを聞いたときは信じられなかった。そこで私はMİTの事務次官に電話をしたが、繋がらなかった。参謀総長にも電話を掛けたが、やはり繋がらなかった」と述べている。しかしながら、その時間帯にはアカル参謀総長にも、あるいはフィダン事務次官にもいかなる脅迫や攻撃がなされていなかったことから、連絡を取るにいかなる障害もなかった。そうなると、「アカルとフィダンは大統領の電話に出なかったのか?」という疑問 が生じる。

■MİTと連絡がつかなかった

再びロイター通信に対するエルドアンの発言を見ると、アカルとフィダンと連絡がつかなかったことを述べた後に、「なぜなら彼らは電話に出ることができなかったからだ」と述べていることが気にかかる。アカル氏が午後9時半以降に人質に取られたこと、また午後11時ごろにMİTの事務次官室に発砲があったことを考えると、エルドアンがなぜこの時まで2名と連絡がつかなかったのかという質問にはいまだ答えられていないことになる。すると今度は、「エルドアン大 統領がアカルとフィダンと連絡をとることが、(何者かによって)妨害されたのか?」という疑問が浮かんでくる。

■5時間コンタクトなし

エルドアンとユルドゥルムはいつ面会したのか?:エルドアンは、「首相とコンタクトをとるよう努めた。少々問題はあったものの、連絡がとれた」と述べた。 ビナリ・ユルドゥルム首相が各政党党首らに伝えた情報からは、彼が夜9時を過ぎてからクーデターについて情報を得たことが分かる。午後4時ごろに花婿から連絡を受け、その後アカルともフィダンとも連絡がつかなかったエルドアンが、どうして5時間もの間、首相と連絡が取れなかったのかという疑問の答えもまた、謎に包まれたままだ。

フィダンはなぜ大統領に電話をしなかったのか?:エルドアンは、アル・ジャズィーラに対し、「私に花婿が(クーデターについて)知らせた。しかし始めは信じたくなかった。その後、諜報機関やそのほか様々な情報源により、クーデターが事実であると判明したのちに、[滞在先で]私とエネルギー省大臣で必要な手を打ち、ダラマン空港に向かった」と述べた。エルドアンが、それ以前連絡が取れなかったMİTの事務次官といつ話したのかは、まだ明らかになっていない。

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( 翻訳者:木全朋恵 )
( 記事ID:40936 )