キヤーロスタミー医療過誤疑惑―「3~4度目の手術は主治医の執刀によるものではなかった」(2)
2016年07月14日付 Iran 紙

 またファッターヒー博士は、(主治医だった)ミール医師が故キヤーロスタミー氏の手術時に不在だったという疑惑について、次のように述べた。

最初の2回の手術(1度目と2度目の手術)については、主治医であるミール医師が行った。1度目の手術は94年エスファンド月16日(西暦2016年3月6日)に、そして2度目の手術はエスファンド月21日(西暦2016年3月11日)に行われている。1度目の手術では、ミール医師自らが大腸の一部を摘出した。しかし、患者は外科手術の3日後に出血を起こし、再び、出血を抑えるための2度目の手術がミール医師によって行われた。

 同氏は、「ミール医師は、それぞれ95年ファルヴァルディーン月9日と12日(西暦2016年3月28日と31日)に行われた、3度目と4度目の手術には参加しておらず、手術は彼の補助外科医と別の外科医によって行われた」と述べた。

 ファッターヒー博士によると、故キヤーロスタミーの主治医は、エスファンド月28日(西暦3月18日)までジャム病院にいたが、複数の理由によってその後の手術には参加しなかったと主張しているという。もちろん、この主張は慎重に調べる必要がある。

 同氏は、法的には主治医が治療過程の始めから終わりまで患者に付き添う義務があると強調したうえで、「故キヤーロスタミー氏の主治医は、患者の許可と同意を得てはじめて、3度目と4度目の手術を別の外科医に任せることができる。しかし故キヤーロスタミー氏がこのように望んでいたか否かは、今のところ明らかでない」と語った。

 同氏は、故キヤーロスタミー氏がガンを患っていたわけでは決してなかったと指摘した上で、「腸ポリープという病気は、その後ガンに変わる可能性がある病気の一つだ。彼は度重なる麻酔のために衰弱していたが、にもかかわらず、フランスに向けて発つ前の彼の肉体的状況は良好で、キヤーロスタミー氏は病気の危険な段階を克服していたというのが、相談医と主治医の考えだった。フランスに行くことについて、彼が誰に相談していたのかは今のところ明らかになっていない」と語った。

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( 翻訳者:CHK )
( 記事ID:40950 )