ハリル・イナルジュク教授の死を悼む
2016年07月28日付 Cumhuriyet 紙
ジェマル・カファダル教授は、ハリル・イナルジュク教授について語った。「全てのオスマン史及びトルコ史家はわかっている。彼が書いたものや影響を除けば、我々がオスマン史と言う総体は非常に空虚なものとなる。」
痛みは言い表せない。トルコは20世紀に生まれた最も博識ある人物の一人を失った。世界は、20世紀の ‐どの世界基準を適応しようとも‐ 最も価値のある知識人を失った。一体何人について「誇張だ」と言わせずに、この二文を連ねることができるだろうか。ハリル先生は、現代トルコ史家における最も深い血脈が前世紀の国史を著す営みを通して変化し、まず(先生であるフアド・キョプリュリュ教授を通じて)デュルケム派、その後はヴェーバー派さらには部分的にマルクス主義の社会学に通じた社会史家のうち最も創造的、熟達の、最も学識の深い代表的人物である。一方でオスマン帝国の政治世界を社会学及び思想面から調査し、半世紀以上もの間先駆者たる性質を失わないオリジナルの説を提示した。他方で最も重要な歴史学派のうちアナール派と[研究者の]バルカン氏が始めた対話を押し進め、特に経済史研究で新境地を開拓した。
■「包括的」視点
しかしこれらでさえ、彼の包括的視点を十分に説明するものではない。オスマン史はおろか、経済、思想、政治、文化について書いたそれぞれ価値のある論文や著作を通じて、世界のいかなる分野をも深く包み込み、影響を及した数少ない例といえよう。自身をそれぞれの形でハリル先生の弟子とみなす者たち、つまり90歳以下の全てのオスマン史及びトルコ史家はわかっている。彼が書いたものや影響を除けば、我々がオスマン史と言う総体は非常に空虚なものとなる。ハリル先生が学者の側面を非常に高く評価していたポール・ヴィテク氏を最初のロンドン旅行で訪れた。
重要と考えているため、ヴィテク氏との対面の思い出を幾度か語った。一般に誰も好まず、気難しいと知られるヴィテク氏はイナルジュク先生が執筆した著作を丹念に読んだようだ。この若いトルコ人研究者に「航空整備士を考えなさい」と言ったそうだ。「飛行機の出発の準備ができているかと調べる際に、『全て順調だが、3つ5つほどのねじが固定されていない。何千ものねじがあるから、全て固定されていなくてもかまわない、飛行機の準備ができている』と言えるのだろうか。あなたの作品にはこのような不注意を許さない緻密さがある。」
ハリル教授は[その言葉に]影響を受けたそうで、「我々の仕事も航空整備士ほどの注意深さが必要とされる」と述べた。「あらゆるコンマ、脚注、言葉が適切に配されるべきで、そうでなければ真摯に受け止められない」。真摯に受け止めなかった。気難しいのではなくて、細心の注意を払っているのだ。なぜなら仕事を、方法から作成に至るまで細部にわたって真摯に捉え、正確な、固有な、公平な、自身の本性に忠実な知識人だった。評価を受けることを好み、望んだ。しかし、どの持続的な学術的成功の背後にも努力と誠実さがあるという事実に即して生きた先生は、しばしば出くわしたごますりを好まず、さらには批判を怠らなかった。この点で非常に苦しんだ時に用いた「おもねり」という言葉を先生から学んだ。
■自身を刷新する能力
80歳、90歳代で新規なテーマ、そしてアプローチを始めるのは、成功により職業の頂点に辿り着いた知識人らでめったに見ることができない自身を刷新する能力[がなせる業]である。恐らく先生の100年間の人生の秘密はこれだったのだろう。彼を知識人または人柄の面でよく知る誰しもが、先生に 「しかし」と言いたい瞬間があった。しかしまた我々の誰もが、その「しかし」という瞬間であれ、ハリル先生が、特別な世界で、咎めや譴責が説得力のないものになる世界で、諸分野の軸となる知識人たちの間で、俗世からほど遠い場所で生きるていることを、そこにある彼固有のものを努力して手にしたことをわかっていたし、知っている。我々がオスマン史と呼ぶ大海に最も通じた導き手、発見者の船長を失った。世界史と呼ぶ広大な海へ向かう道をも彼が開いた。神の御慈悲がありますように。天国へと召されますように。
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( 翻訳者:満生紗希子 )
( 記事ID:40957 )