アヴィニョン演劇祭ではシリアとレバノンの苦痛を演じる
2016年08月02日付 al-Hayat 紙

■アヴィニョン演劇祭ではシリアとレバノンの苦痛を演じる

[アヴィニョン:ジュルージーン・アイユーブ]

第70回アヴィニョン演劇祭では、今年あったように、舞台上と記者会見の場でこだまするアラビア語の批判が聞かれることは、決してなかった。我々はシリアとレバノン、他にはイランからの作品をいくつか鑑賞した。若手アーティストの作品は今回はじめて、アヴィニョンで公開された。それは演劇祭が中東地域に注目する中でのことであった。今回は我々が鑑賞した作品を取り上げたい。

シリアは生と死のはざまにある。

演劇祭の第1部では、シリア人演出家のウマル・アブー・サアドが、演劇作家ムハンマド・アター作『わたしが待っているあいだ』を上演した。
この演劇は素早いテンポの中、ドキュメンタリーの手法を用いながらシリアで失われた彼の世代について語る。彼の世代とは、シリアで戦火を広げる戦争を理由に、苦痛や死、逮捕の憂き目にあい、将来を奪われた30代世代のことである。
(以下、上記演劇の一部の描写)抗議運動に参加した男、タイムは、ある不可解な事件にあい昏睡状態にある。彼の母親は彼のベッドの傍で祈り、泣き叫んでいて、「自分の人生を生きるため」にレバノンへ「逃げた」妹に激怒している。彼の父親に関していえば、2回死んでいる。というのも、父親はある女性の胸の中で死に、そのあと、彼の家族は、彼がひそかにほかの女性と結婚していたことを知るからである。

(後略)

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( 翻訳者:宮﨑 愛 )
( 記事ID:40980 )