エジプト:オリンピックの悲惨な成績は国情を反映するもの
2016年08月24日付 Al-Ahram 紙
■オリンピックの成果
【オサーマ・ガザーリー・ハルブ】
一昨日、ブラジルのリオデジャネイロで2週間にわたって行なわれた、今年のオリンピックが終わった。締めくくりは、四年後の開催地となる東京の知事への旗の引き渡しであった。
オリンピックは基本的にはスポーツのイベントであるが、競い合う国々—ほとんど世界のすべての国である―を支配する経済的、社会的、文化的な状況の総体を示していることには何らの疑いもない。それは直ちにオリンピックの結果に、最終的な成績に反映される。
まず、この大会の上位を占めたのが、世界でもっとも発展し成長した国々であることは不思議ではない。(つまり、アメリカ、イギリス、中国、ロシア、ドイツ、日本、フランス、韓国、イタリア、オーストラリア、オランダ、ハンガリー、ブラジルなどである。)発展と真剣な仕事や偉業を成す能力とは、分かちがたい事実だ。確かに、いくつかの例外は散見されるが、それは自然なことであり、基本に変わりがないことは、今大会の結果と数字がそれを証明している。
こうして見ると、われわれの目を引くのは今大会におけるアラブの成績の酷さだ。22のアラブの国を代表する268人の選手が参加したが、取れたメダルはたった14(金2、銀4、銅8)に過ぎない。
祖国の名に名誉をもたらしたわずかな(エジプトの)選手たち(サーラ・サミール、ヒダーヤ・ワフバ、ムハンマド・イーハーブ)および勝利と偉業のために全力を尽くしたすべての人々にこれ以上ない喝采を送り、敬意を払いはするが、しかし私がこう思うのはおかしくはないだろう。
世界的に見たときのエジプトの成績が嘆かわしいほど低いのは(エジプトは第75位)、いやアラブ諸国のなかでもやはり低い(チュニジアと並んで第5位)のは一体どういうことなのか。バハレーン、ヨルダン、アルジェリア、カタルの方が上を行っている。我々はこの失敗の理由を考えなければならない。我々は、すべての国民とともに、明快で率直な説明に耳を傾けなければならない。
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( 翻訳者:八木久美子 )
( 記事ID:41098 )