昨夜アンカラで大きな動きがみられた。エフカン・アラ内務相が三年間務めた職務を辞職した。ビナリ・ユルドゥルム首相は、アラ内務相の代わりにスレイマン・ソイル労働社会保障大臣を、その後任に公正発展党(AKP)副党首でブルサ選出国会議員のメフメト・ミュエッズィンオール氏が任命したと伝えた。この内閣における交替は官報で報じられた。一方、辞職に関し舞台裏では様々な憶測がなされている。
タイイプ・エルドアン大統領とビナリ・ユルドゥルム首相が昨夜の緊急会談で驚くべき内閣改造の決定が出た。6年の首相顧問の後、内務相を3年務めた与党の最有力人物のうちの1人であるエフカン・アラ氏が辞職した。
■秘密会談の推移
この驚くべき閣僚交替の前に秘密の会談が行われていたことが明らかになった。エルドアン大統領は昨日の昼後ソイル氏とミュエッズィンオール氏と別々に会談した。舞台裏では職務の変更に関する要請がエルドアン大統領からのものであり、今夜始まる中国とその後のアメリカ訪問の前に手を打ったのだというコメントがなさ れた。
■ユルドゥルム首相の考え
ユルドゥルム首相も知っていたと言われるこのプロセスについて、閣僚や党幹部らの大部分は一般市民と同様にユルドゥルム首相とエルドアン大統領の会談の後出された声明で知ったことが分かった。大統領府は大統領に首相との緊急会談を18時52分に知らせた。エルドアン大統領はヨーロッパ外交評議会委員で以前のスウェーデン首相カール・ビルト氏との会談を19時10分に終えた後、大統領府を訪れたユルドゥルム首相を迎え入れた。
■1分間の声明
約25分間の会談の後、ユルドゥルム首相が会見を開くことが知らされた。20時にカメラの前に立った首相は1分間の会見で次のような声明を出した。「内務相でブルサ議員のエフカン・アラ氏の辞職で空いてしまった大臣の職に労働社会保障大臣でトラブゾン選出国会議員のスレイマン・ソイル氏を、労働社会保障大臣に副党首でブルサ選出国会議員のメフメト・ミュエッズィンオール博士を任命した。国民にこのことを伝える。内務相を辞したエフカン・アラ氏の大臣に職務への貢献に感謝し、後任の大臣たちの成功を祈る。」
■金属疲労か?
この驚くべき改造に関し様々なコメントが出されている舞台裏では、大統領がフェトフッラー派テロ組織(FETÖ)との闘争のスピードと調整の点で上手くいっていないことが長い間不満であるといわれている。
AKP周辺でこれに関し「金属疲労」というコメントがなされる一方、アラ氏が以前述べた、12月17‐25日の81ある県警察本部長のうち74が、局長の全員が、7000人の諜報部員のうち6500人がFETÖのメンバーであるという声明が、不快感を生んだと言われている。
また、与党筋ではクーデターの夜、アラ氏と長時間連絡が取れなかったと言われており、アラ氏はその時エルズルムから飛行機でアンカラに向かおうとしていたと発表を行っていた。
舞台裏ではさらに、人民の民主主義党(HDP)党員とのドルマバフチェ宮殿での会議にも言及されており、「会議に参加した3人のうち、ヤルチュン・アクドアン氏、マヒル・ウナル氏は以前に職を解かれていた、3人目の人物はアラ氏である」という主張もある。
■クーデターの夜の行動
12月17-25日のプロセスから今までFETÖとの闘争に関して積極的な立場をとっており、クーデターの夜もアンカラで通りに出てテレビ・ラジオ公党委員会(TRT)の総本部をはじめ、クーデター実行者に相対したソイル氏のこの行動も注目されている。舞台裏ではAKP組織長を務めていた時のエルドアン大統領との仲も指摘し、 軍警察が内務省管轄となった新時代にソイル氏が選択されたとのコメントがなされている。政府での引き継ぎ式は今日行われる。
■解任を仕切った
1965年エルズルムで生まれたエフカン・アラ氏は、1987年イスタンブル大学で行政を修めた。1988年サカルヤで郡知事としてキャリアをスターとさせた。2004年ディヤルバクル県知事となった。2007年から2013年まで首相顧問を務めた。アラ氏は、12月17-25日作戦を実行したイスタンブル県警の幹部の解任を指揮した。61・62代内閣で国会議員ではなかったにもかかわらず、外部から内務大臣に任命された。アフメト・ダウトオール氏が組閣した64代、ビナリ・ユルドゥルム首相の65代政府で内務相を務めた。アラ氏の任期中に多くの自爆テロが起こった。
■スレイマン・ソイルとはどのような人物か?
1969年11月21日イスタンブルで生まれた。プレヴネ高校から始まり、カラデニズ技術大学、イスタンブル大学経営学部で学んだ。政治人生を1987年正道党(DYP)イスタンブル県青年支部でスタートさせたスレイマン・ソイル氏は、1995年ガーズィオスマンパシャ郡代表に選ばれた。1999年の地方選挙でガーズィオスマンパシャ区長候補となった。1999年から2002年の間イスタンブル県代表を務めた。
2008年1月6日民主党党首に選出された。2009年5月16日自身の要望で実現した大会で党首の職を辞した。
2010年9月12日国民投票で賛成票を推すため「民主主義会議」という集会でトルコを遊説した。
2012年9月5日AKPに所属。党情勢検討部局代表となったスレイマン・ソイル氏は、2014年4月15日党組織長に移った。昨年6月7日と11月1日の国会議員総選挙でトラブゾン選出国会議員に選ばれた。
トラブゾン県オフ地区出身である同氏は、1989年に始めた商売を1995年自身が設立した保険会社で続けている。ソイル氏は既婚で、娘一人と息子1人の父親でもある。
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( 翻訳者:奥村 茜 )
( 記事ID:41146 )