■シリアの子ども達、「遠く」からの訴え
【リザーン・ハドウ】
殉死したシリアの子ども達がもし、大人たちと通じ合えることができたら、一体何を伝えるでしょうか。あなたは分かりますか?
親愛なる父と慈悲深き母よ。神がどうか私の死別の悲しみをあなた方に耐え忍ばせてくれるよう願います。友人たちと蹴り合った、紙と雑巾が詰め込まれたあの古い靴下、そしてイードで唯一私が集めることができたあのお菓子の一切れ。喜びのあまり食べずに取っておいて、夢で味わえますようにと祈って、毎晩寝る前に眺めていたあのお菓子の一切れ。お母さん、お父さん、どうかあのボールとお菓子の一切れを私の友達に送ってください。マダーヤーとザバダニの友達に、カファルヤーとフーアの友達に、ホムーレイヤとメスラーバー、ドゥーマとサクバの友達に、コバニとカーミシュリー、アフリーンとアムーダの友達に届けてください。親愛なる父、慈悲深き母よ。悲しまないでください。私は今、前にいた処よりもずっと良い処にいます。かつての友情よりも美しい友情を育み、何人かの友人と知り合いました。彼らは私と同い年で、私と同じ道を辿ってここに辿り着いた子ども達です。ムハンマド、ムーサー、イーサー、オマル、アリー、フサイン、カーワー、アーイシャ、マリヤム、ゼイナブ、ノウルーズ。私たちは、綺麗な庭で新しいボールで遊んでいます。お菓子もたくさんあるし、私たちがいつか欲しいと願っていたものも全部あります。父と母のもとで失われた愛情と幸せが私たちを一つにしてくれています。だからどうか悲しまないでください。お母さん、お父さん、私たち子どもたちは、あなた方大人の妄言を認めてなかったし、これからも認めることはないでしょう。人類は皆アダムから、そしてアダムは塵から創られたのですから。その塵を虚しくも峻別しようとする者は愚か者でしょう。
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( 翻訳者:森山花彩 )
( 記事ID:41570 )