シリア:アルメニア人監督の長編ドキュメンタリー作品
2016年11月11日付 al-Hayat 紙

■『扉の無い家々』:アレッポでの殺戮から100年

【サミール・ファリード】

ターハ・フサイン(1889–1973)は、1930年代、まさに黄金の30年代と呼ばれる時代のイラクの人々について、彼らは皆詩人であり、「詩人と詩人の間には、うまくない詩人がいる」と言い表した。同じく、アルメニア人は皆芸術家だと言うことができるかもしれない。これが意味するのは、もちろんこの人々の多くについてのことである。とどのつまり、どの国の人々の中にも詩人と芸術家は存在するのだから。

そのアルメニア人たちはかつて20世紀に、オスマン帝国支配下のトルコ軍の手によって最初の大虐殺に直面した。それは1915年に終わりを告げたが、その間、150万人以上のアルメニア人が、アルメニア人であるという以外の罪もないままに殺された。その動機や目的はすべての人間的価値に反するものであり、あらゆる人種主義的虐殺と同じである。

この大虐殺の最中、数百万のアルメニア人が世界中の多くの国々、特に近隣のシリアやレバノン、エジプトに亡命した。殺戮から逃れるためアルメニア人たちが向かった都市のひとつが、シリアのアレッポである。アレッポは、アラブの最古のメトロポリスであり、この都市が目撃したことの中には、最初のアラビア語印刷機がある。また、音楽を愛する者で、アレッポの名が冠された「アレッポ旋律」を知らない者がいるだろうか。

■罪としての破壊

2015年、アルメニア人大虐殺から100年後、アレッポは、2011年に独裁者アサドに対して始められたシリア革命に関与した罪により破壊された。アレッポの破壊された街区の一つに、アルメニア人地区がある。そこに、長編ドキュメンタリー映画『扉の無い家々』(90分)の監督であるアポ・カプリアンは暮らしている。その内容は、2016年のベルリン国際映画祭における同時開催プログラム「フォーラム」において、初めて世界的に上映された。

「ドキュメンタリー」映画は映画芸術におけるジャンル分けの学術的規則に従わなければならないと言われる。しかし、映画はドキュメンタリーのジャンルを超え、ドキュメンタリーとフィクションを合わせた地平へと広がり、さらに、フィクションは記録——視覚的・聴覚的のいずれにせよ——へと結び付いていく。

同様に、ドキュメンタリー映画は、映画史上のフィクション映画の諸場面を取り入れた。〔映画の〕芸術家たちは、演劇的要素を採用するにあたり、それによって映画的言語を際立たせ、音声と映像の二つのフィルムの存在を際立たせるように巧みに用いる。それらは、時に調和し、時に対立するように用いられる。こうしてドキュメンタリー映画は、純粋に映画的な詩、カスィーダ〔アラブ詩〕の言葉を得て、際立ってポストモダン的映画を創りだすことができたのである。

(後略)

Tweet
シェア


この記事の原文はこちら
原文をMHTファイルで見る

 同じジャンルの記事を見る


( 翻訳者:竹村和朗 )
( 記事ID:41582 )