コラム:フランスでアラビア語は「テロの言葉」と化す(1)
2017年01月05日付 al-Hayat 紙
■フランスでアラビア語は「テロの言葉」と化す(1)
【パリ:アルレット・フーリー】
あれはパリのカフェで普段通り女友達の一人とお茶をしていた時のことだった。特筆すべきことは何もなかったが、隣のテーブルに座ったある男が険悪な視線を投げかけてきて、その場の「空気は一変」した。彼は椅子をゆさぶり続け、憤りをあらわにした顔つきだった。タバコの煙が不快なのではないかと思い、私たちはタバコを消したが、彼の表情を和ませることはできなかった。
おそらく買ったものが入っていた袋のせいで彼は不快になったのだろうと、袋の場所を変えてみたが、彼の振る舞いは変わらなかった。
私たちは彼を無視することにして会話を続けたところ、彼は私たちの方に振り向き、断りなく話しかけてきた。「お前たちがしゃべっているのは何語だ?」そう言うやいなや友人は機転を利かせて答えた。「私たちはイスラーム教徒の言葉を話しています。何か問題でも?」
その客は身支度をして勘定を済ませ、カフェを去っていった。彼の不快感の原因は、他でもなく、アラビア語が聞こえたことだったのだ。アラビア語はいまやフランス人の多くにとって恐怖と疑念の源になっている。
明らかなのは、テロリズムとイスラームの混同が広まり、人々の頭のなかでアラビア語が「テロリストの言葉」とみなされ、恐怖と結びついいるということだ。このような混同は、政治の場でそれを増長させる人がいなければ、一部の世論に限定され得ただろう。とりわけ、こうした状況は、フランスを襲った血みどろのテロ攻撃以降顕著になった。
この攻撃によって政治家たちは本能の赴くままに横暴に発言するだけではなく、その多くが、国民統合を守るという口実で、恐怖や疑念を煽っている。なお、フランスはいまだに高いレベルのテロの脅威のなかにある。
これらの政治家はまた、来春予定されている大統領選挙運動において、改めてポピュリズム的なスローガンを利用したり、目新しく、自分たちとは異なるもの全てを拒絶する風潮に乗っかろうと準備をしている。
「コラム:フランスでアラビア語は「テロの言葉」と化す(2)」に続く
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( 翻訳者:三根菜月・森本瑠・森山花彩・菅沼実祝 )
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