ギュレン派はいかに外務省に入り込んだか
2017年01月15日付 Hurriyet 紙

メヴリュト・チャヴシュオール外務大臣が以前共和人民党(CHP)のセズギン・タンルクル議員の質問に与えた答えは、ギュレン教団がどの時期に外務省にどれほど深く入り込んでいたかという点について、非常に明白な図を明らかにした。

チャヴシュオール外相は、7月15日クーデター後2016年7月16日から11月7日の間に公表された3つの法によって、フェトフッラー系テロ組織(FETÖ)と関係があることを理由として外務省から計408人の解雇を発表した。チャヴシュオール外相は、これらの職員のうち350人がキャリア外交官、58人がその他の職員であると明らかにした。

■外交官の10人に3人、すなわち30%がFETÖを理由に解雇

これは、非常に考えさせられる数字だ。なぜなら、外務省は専門特化型の省だからだ。2016年初頭に外務省には――事務職員を除いて――計1202人のキャリア職員、すなわち外交官がいたことを計算に加えると、全外交官の約30%がFETÖとの繋がりによって解雇されたということができる。

この事実のもうひとつの意味は次のものだ。告発が正しければ、外務省では外交官の10人に3人がFETÖ派だという。比率から言えば、FETÖは外務省にもトルコ国軍における割合に近い割合で入り込んでいるということができる。

数字がこのようであれば、必然的に、「これほどFETÖと繋がりのある人間がどうやってこれほど簡単に外務省に入省したのか」、「いつ入省したのか」、「誰の、どの者たちの責任の元入省したのか」といった疑問が人々の頭を占める。

■人事政策をダヴトオールが変えさせた

この疑問には抽象的な理由ではなく、具体的な数字によって答えを探す必要がある。AKPが2002年末に政権についた際、163の在外公館と中央で合わせて542人のキャリア職員が働いていた。2016年には、在外公館の数は234に達し、キャリア職員の数も1202人にのぼった。つまり、13年間で2倍以上に増加したのだ、外交官の数は。最も増加が多い時期は、アフメト・ダウトオールが外相を務めていた2009年から2013年の時期と一致する。

■問題は省から示された「多肢選択式」試験

ダヴトオールは外務省にやってきた後新たな外交ビジョンに向かう一方、省の人事政策を根本的に変えさせた。ダヴトオールは、最初の仕事としてトルコ大国民議会(TBMM)で新たな組織法を通過させ、国際関係、法、政治学、行政といった分野を修了した者たちに加えて、歴史、社会学、広報、心理学、哲学、数学、工学といった分野で学部または大学院で教育を受けた者たちにもキャリア職員となる門を開いた。

この時期は、トルコが、特にアフリカにおいて、新たな在外公館の数を大掛かりに増加させた時期だった。2009年に178だった在外公館の数は2012年の末には210に達していた。

人事政策における明確な変化がもう1つあった。2010年までの試験はまず筆記、その後口頭の2段階で行われていた。2010年にこの2段階試験の前にさらに「多肢選択式」試験が追加された。この多肢選択式試験は省の人事部が用意した。この間に面接委員会も設置された。それまでの口頭試験は全ての事務次官と責任者が参加する広範な役員会の前で行われたが、全ての権限は5人からなる委員会に移った。フェリドゥン・スィニルリオール次官は委員会のメンバーとなり、同時に各会議は次官不在で行われた。

■リストは人事部で完成

リストは、大部分は省の人事部で完成した。AKP期の2003年から2015年の間の13年間に働き始めた595人のキャリア職員候補のうち267人が2010年から2013年に登用された。ダヴトオールが外相になった2009年には以前の方法で50人が登用されていた。

その4年間のうち前半2年はトゥンジャイ・ババル、後半2年はアリ・フンドゥクが人事部長だった。大臣の個人的な顧問として制限された委員会に入ったもう1人の人物はというと、ダヴトオールの右腕である顧問ギュルジャン・バルクだった。3人とも現在はFETÖ捜査で逮捕されている。

■ファーティフ大学から外務省への入省期

得られた情報は、2010年から2013年にギュレン派のコントロール下にあったファーティフ大学の卒業生らも外務省に入省し始めていたことを示している。さらに、この時期に外務省に参入した女性外交官の数の不足も外務省内で議論を生む問題となった。

一方で、この時期に加わった外交官の相当数の外国語知識が脆弱であることが明らかになると、省で英語コースが開かれ、この状況は省の職員の完成度の観点から困難な状況を作り出した。省の職員雇用で以前ほど選別が行われていないというのは、その時期に広まった意見だった。

■解雇された者たちの多くは選択式試験で入省した者たち

では、7月15日以降のクーデター関連法によって解雇された350人のキャリア職員はいつ外務省に入省したのか?外交資料は、解雇された外交官の多くが多肢選択式試験が行われた2010年から2013年に入省したことを指摘している。省から解雇されたこの350人の中には2010年以前に入省した者もいるが、数の上では突出した割合を形成してはいないのだ、この区分に属する者たちは。

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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:41967 )