故郷はここだけ―急激に変わりゆくエスファハーン・ジョルファ地区のアルメニア人街(3)
2016年12月22日付 Iran 紙
ヴァンク教会とジョルファ広場の間を結ぶ、ジョルファ通りを訪れてみた。辺りは暗くなりつつあったが、石畳の通りは若者で溢れていた。狭い通りの両側には瀟洒なカフェが軒を連ね、コーヒーの香りが漂っている。
見て明らかなように、通りの両側にある老朽化した建物はどれも壊れかけており、新しいアパートに姿を変えつつある。もちろん、「滅び行くものの美」をそこに見ることも可能な建物も中にはある。
この通りを歩く若い男女たちは、なかなかファッショナブルで今風の身なりをしている。中には数人で通りの端に立ち、携帯電話をいじっている者もいる。歩きながら電話で話している者もいる。金髪で背の低い青年が、一人で角に立っていた。アルメニア人のようだ。私は彼のもとに行き、話しかけてみた。「アルメニア人ですか?」すると彼は「いいや。どうして?」と答えたので、私は彼に謝罪し、別のところに行こうとした。ところが彼の方が、私から離れようとはしなかったようだ。彼は大きな声で、私に叫んだのである。「あんちゃん、必要なものはみんなあるかい?どこ行くんだい?来なよ、ほしいものなら、何でもあるぜ!」。
※訳注:おそらくこの若者はヤクの売人かなにかであることを、記事はほのめかしているものと思われる。
ジョルファ広場に着く手前に、菓子店がある。お菓子がショーウィンドウに綺麗に並べられている。菓子店を経営しているのは、ハチャトゥリアンさん(女性)だ。57年〔西暦1978/79年〕からこの店を経営していたのは彼女の父親だったが、今は数年前から娘であるハチャトゥリアンさんがこの店を再スタートさせ、自分の息子と娘、および数人の従業員と一緒に経営している。
ハチャトゥリアンさんは今も変わらずジョルファ地区を愛しているが、〔素性のよく分からない〕若者たちやティーンエイジャーたちがこの地区にたむろするようになったことが、彼女には気にくわないようだ。彼女は言う。「ここも昔とは変わっちゃってね。昔ながらの街路や建物がなくなっちゃって、アルメニア人たちも大勢ここを離れちゃったのよ」。ジョルファ地区に残っているのはもはや名前だけで、エスファハーンの若者がぶらつく場所になってしまったとでも言いたげだ。
〔‥‥〕
つづく
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( 翻訳者:SR )
( 記事ID:41991 )