エジプト:「ラービア」の座り込みが教会への自爆テロ犯を産んだ(2)
2017年04月14日付 al-Hayat 紙

■「ラービア」の座り込みが数十人の自爆テロ実行犯を産んだ(2)

【カイロ:アフマド・ラヒーム】

内務省が発表した自爆犯2人およびテロ細胞メンバーに関する情報は十分とは言えない。だが、複数の治安筋は本紙に、自爆犯2人がこれまでにも2013年に拘束されていたとしたうえで、テロ細胞メンバーが「ラービア・アダウィーヤ」広場での座り込みでお互いの関係を深めていったと指摘した。この座り込みには、メンバー全員が参加しており、そこでともに同郷(ケナ県出身)で、同一の(思想)潮流に身を置き(サラフィー主義者)、「ハーズィムーン運動」を支援していたことを通じて親交を深めていった。「ハーズィムーン運動」とは、拘束中のサラフィー主義指導者のハーズィム・サラーフ・アブー・イスマーイールが設立した運動だ。

マフムード・シャフィーク(聖ペテロ教会での自爆犯)もラービア・アダウィーヤの座り込みに参加しており、2013年に拘束されていた。

同治安筋はさらに、タンタでの自爆犯マムドゥーフ・バグダーディーに過激化の兆候が見られ、何度も 拘束されていたと述べた。バグダーディーは出身地ケナ県の「ナガウ・フガイリー」村の小さな「礼拝所」 に身を寄せ、過激派グループと共に礼拝していたという。この過激派は、タクフィール主義思想を奉じ、アズハルやワクフ省のイマームさえも背教者とみなし、彼らに追随して礼拝することを拒んでいた。そして、ワクフ省がこの礼拝所を管理下に置き、同省のシャイフのなかの説教師 を指導者としてイマーム職に就けようとしたところ問題が発生した、という 。タクフィール主義者らはワクフ省のイマームに反抗し、礼拝所の当局への引き渡しに抵抗したのだ。結局のところ、バグダーディーは拘束され、同省のシャイフに反抗しないと誓約したのちに釈放された。だが、彼はラービア・アダウィーヤの座り込みの強制排除時、ムスリム同胞団の抗議行動 に参加したことで再び拘束されていた。同胞団は当時、体系的に 暴力行為や破壊行為を行う方針をとっていた。

バグダーディーは数カ月間にわたり度々この村に身を隠していた。当時、彼は、国外あるいは北シナイの砂漠にある「ダーイシュ」の基地で訓練を受けていたと考えられている。なお、軍は北シナイを制圧し、この数カ月で同地の支配を強化している。

テロ細胞を指導するアムル・サアド・アッバースは、ケナ県シュワイハート村出身で、アレキサンドリアでの自爆犯の義理の兄弟である。彼はまた「ラービア・アダウィーヤ」の座り込みの強制排除時に拘束され、その兄弟も数カ月前に拘束されている。指名手配中のタラアト・アブドゥッラヒームは、同県「ナガウ・カーディー」村出身で、「ハッラース」の名で知られている。彼は、治安の攪乱、殺人未遂、当局への抵抗、カナ県ファルシュート市中央警察署侵入事件への関与、同市の多数の政府施設への放火、破壊行為といった罪で懲役10年の刑を受けているが、当局は刑執行を執行するべく、彼を追跡中である。これらの犯罪行為は、ムルスィー大統領が2013年7月3日に退陣させられた後に行われた。さらに、アブドゥッラヒームは「ラービア・アダウィーヤ」の座り込みが強制排除された際に治安当局との衝突で殺害された同胞団北ケナ県支部長のアブドゥルムイッズ・アブー・ジャム―スに近い人物 の一人だった。暴力的なデモがケナ県で勃発すると、アブドゥッラヒーム被告はムルスィー大統領退陣を受けてこのデモに参加、その後カイロに向かって「ラービア・アダウィーヤ」の座り込みに加わり、その後村に戻ることはなかった。

(後略)

エジプト:「ラービア」の座り込みが教会への自爆テロ犯を産んだ(1)はこちら

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( 翻訳者:増田まい )
( 記事ID:42495 )