ヤヴズ(冷酷者)・スルタン・セリムがエジプト親征帰還の際、「上にかけよ」と遺言した泥付きの上着が4月17日にレジェプ・タイイプ・エルドアンによって公開された。自身が命じて作らせた廟内の彼の棺の上の特殊ガラスのショーケースの中に上着は展示されているが、この上着は2005年に修復のために引き取られた。長年棺の上のアルミニウムの間に合わせのケース内で劣化した上着が特別チームによって修復された。
廟は1925年に閉鎖された後、廟の遺物は環境及び気候の被害を受けた。アルミニウムのケース内で折りたたまれた形で廟の上にかけられていたヤヴズ・スルタン・セリムの上着は2005年に元あった場所から引き取られた。上着はボロボロになった状態であった。当時、この種の歴史的価値のある上着の修復を行っていたトルコ大国民議会(TBMM)国家宮殿局の繊維工房に運ばれた。公的な書類とともに引き渡された絹製のひよこ豆色の上着は約二年の歳月を経て修復及び補修が行われた。2008年には上着はイスタンブル墓地及び博物館局に引き渡された。しかしヤヴズ・スルタン・セリム廟はその時期に修復に入った。上着は博物館の倉庫に保管された。
■盗難されたのではと論争も
上着の廟での展示が遅れ、2012年には紛失した、盗まれたのではと論争が始まった。文化観光省はこの論争を終結させるために声明を出した。上着は盗難にあってはおらず、空調設備、湿度測定器が備わっている博物館の倉庫に保管されていると発表された。しかし今回はスルタンの遺言が話題になった。
■スルタンの遺言
文書に依るものではないが、ヤヴズ・スルタン・セリムがエジプト親征の帰還時、学者らの一人であるケマル・パシャザーデの馬の脚からスルタンの上着に泥がはねたが、スルタンが「学者の馬の脚からは寝た泥は、我らにとって飾りであり、誇りであるのだ。余の死後、これを上にかけよ」と述べたと記されている。目的はスルタンが学者らに払っていた関心の大きさを示すことである。このためにヤヴズ・スルタン・セリムの遺言の場所に上着がかけられていないことが取り沙汰された。しかし修復された上着をどのように展示したものか?当時のように箱の中で棺の上にかけるのは認められない。特殊なケースの制作は廟のしきたりに相応しくないという意見の理由になった。496年ものの上着を無防備に自然に晒して展示するのは不可能だった。
■廟はリニューアル
2015年の11月に上着がヤヴズ・スルタン・セリム・ハンの遺言にあるように棺の上に展示されることが決定した。直接棺にかける代わりに上に設置するガラスケースの中での上着の展示が検討された。2016年の2月付けでイスタンブル修復・保全中央研究所の専門家らに引き渡された上着は展示のための支援プログラムの対象とされた。廟の、そして歴史的な上着の従来の状態に比べ、空調(熱、光、湿度を測定する)装置が設置された。同時に廟内部の絨毯を取り払い、新しいものを敷いた。棺の上の覆い(プシデ)の保全も行われた。廟の入場門の両側にあるオスマン時代のタイルの修補も実施され、地盤からの熱システムを導入し、廟をリニューアルした。
■ギュレンのために盗難されたという主張も
昨年のクーデター委員会メンバーAKP(公正発展党)マニサ県国会議員セルチュク・オズダーは歴史的な上着が2005年にフェトフッラー・ギュレンに贈るために盗まれたが、空港で確保されたと主張していた。
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( 翻訳者:市野太音 )
( 記事ID:42525 )