Ahmet Hakan コラム:2019年48.9%派の大統領候補はだれに?
2017年04月21日付 Hurriyet 紙
民族主義者からも、クルド人からも、世俗主義者からも、保守主義者からも票を得る力を持つ…そんな「スーパーマン」のような存在が求められている。
都市の住民、農村の住民、西部の住民、東部の住民、黒海沿岸の住民、スィイルトの住民…地中海へ伸びる雌馬の頭のような…「ダダルオール」のような存在が必要だ。
強硬かつ柔軟、強情かつ真っ直ぐ、敵を倒す一方で人を愛する…「スパイダーマン」のような存在が必要だ。
型に嵌らず、日焼けが魅力的で、格闘家のような見た目の…ボゾク高原を駆け抜けた…「カラ・ムラト」のような存在が必要だ。
あるときは笑い、あるときは泣き、あるときは怒り、あるときは喜び、そしてミスを犯したりミスを誘ったり、容赦なく、そして実際的な…「ジョーカー」のような存在が必要だ。
経済に明るく、また法の精神が何たるかを知る…トルコ実業家協会にも独立実業家協会にも所属できる…「ケローラン」のような存在が必要だ。
時に強硬で、時に身を引き、時に相手を、時に自分自身を納得させ、冒険に次ぐ冒険を繰り返す…「ジェームズ・ボンド」のような存在が必要だ。
信仰心に厚く、発した言葉が表紙を飾るような…教授にもバッカル(商店)の店員にも訴えかける…「ナスレッティン・ホジャ」のような存在が必要だ。
時にリスクを背負い、時にリスクを避ける…1歩進めば2歩目には下がる…メフテル・マーチにもイズミル・マーチにも現れている…「マキァヴェリ的な」存在が必要だ。
■もし国民投票で敗れていたら…
押印がなされていない投票用紙があったために、政権側は国民投票に敗れていたのだと主張する方々に告ぐ。
もし国民投票で敗れていたら…
48.4%が、あなたたちの一瞬の夢でのものになる。
■反対票を投じた方々へ提案
「押印がなされていない投票用紙」などと形式のみに依存した主張をし、不必要な努力をする代わりに…48.4%を得たということを喜ぶ方がいいのでは?
通りに繰り出し、48.4%の票を投じた人々の多くを怖がらせるような危険な遊びをする代わりに…イスタンブルやアンカラで勝利したことを喜ぶ方がいいのでは?
やれYSK(高等選挙委員会)だと騒ぎ立てる代わりに…「正しく正直な組織があなた方の敵にいなかったにもかかわらず、政府の力で得ることができた票はこれだけか」と言って相手を怒らせるほうがいいのでは?
敗北感と痛みに満ちたため息をつく代わりに…敵側の懸念、動揺、悲観を観察し…この興奮を体験するほうがいいのでは?
■勝利のち、市民への行動
彼らは少し、学び始めたようだ。
自らと同じ考えでない者を愛し…
自らと同じ服を着ない者を理解し…
自らと同じでない者に対し、同情をもって歩み寄り…
自らと同じでない者に接する…
国民投票の結果から私が感じたのは、
彼らは市民を見下し始め、
彼らは「賛成」票を投じたものを重要視し始め…
彼らは傲慢な態度を取り始め…
彼らは「マカロニ/缶」の文学を書き始め…
この思考を続けるならば…
48.4%は最も重要な数字となるだろう。
■単一的なクルド人などいない
「トルコ人はこちらに、あるいはあちらに投票した」などと我々は言わない。それも自然な形で…
一方我々は「クルド人はこちらに、あるいはあちらに投票した」などと言っている。
クルド人を一枚岩で、強固で、同質的な「一つの層」としてみなすのを、我々はいつ止めるのだろう?
■ケマル・クルチダルオール党首、3つの厳しい反応
1、このようなことがありうるのか?
2、見てください、これは全くもって間違いだ。
3、正当だとは思っていない。
■キーマンらの基本的な特徴
難しいと見るや、すぐに道を変える。
「マニアックだとは言っていない。素晴らしい、と言った」などと、逆のことをしている。
犠牲者らに対してマニアックだと言うことは災難をもたらす。その災難を取り除くため、右をも左をも苛め始めた。
■若い女性への声掛け
おそらく、カーディル・トプバシュ氏を犠牲にしたのだろうが、メリフ・ギョクチェキ氏には何の影響もないだろう。
おそらく、メラル・アクシェネル氏が新たな政党を築くだろう。
おそらくAKP内で粛清が行われるだろう。
おそらく、アブドゥッラー・ギュル氏は、無駄なものになるだろう。
おそらく、ブルハン・クズ先生は今回、大臣の1人になることに成功するだろう。
おそらく、ウスキュダルとファティヒは、少しばかり非難を浴びることになるだろう。
おそらく、セリン・サイェキ・ボケ氏は、CHP(共和人民党)の広報の仕事をもう続けられないだろう。
おそらく、デヴレト・バフチェリ氏は、「AKP(公正発展党)が最も票を失った…MHP(民族主義者行動党)ではない、AKPを見なさい」と言うだろう。
■バルバロスを放っておくように
ドアングループのアンカラ代表であるバルバロス・ムラトオール氏が悪いのだろうか?
ある写真で、フェトゥッラーと一緒にいる。
その写真に、他の人もいる。
フェトゥッラーとの写真を撮らせなかった者はいるのか?
たった1枚の写真が、これのどの弾圧をもたらすのか?
この問いに対する、正しく誠実な答えはなされていない。
2度釈放を求めた検察官の要求は、実行されるべきだ。
バルバロスは放っておこう。
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( 翻訳者:神谷亮平 )
( 記事ID:42533 )