コラム:テロリズムとシリア、そしてアメリカ⑴
2017年05月01日付 al-Hayat 紙

■アサドの「ダーイシュ」とアメリカの「9.11」⑴

【ムスタファー・アッルーシュ】

アル=カーイダがアメリカ合衆国に対して起こした事件、9.11から16年近くが過ぎようとしている。あの惨劇から、アメリカの世界全体に対する政策は変化し、この変化に伴い諸理念や諸概念は政治的、思想的に変化した。しかし、アル=カーイダの思考様式は、独裁者の思考のように、何一つ変わっていない。

2001年9月以降、世界は「イスラーム国」による多くのテロ攻撃を経験したが、9.11ほど恐ろしくはなかった。

広くはイデオロギー的精神、とりわけバアス主義の精神の何かが、その教友達に対し、西洋で起こるすべてを改ざんされたフィクションであると考えさせる。こうした見方を経て彼らは、テロ攻撃は、西洋が「反逆」の諸組織と戦うために作り上げたもという分析を重ねていくのである。

2011年3月半ば、シリア革命が勃発してからわずか数時間後にアサド政権は、テロリストが今起こっていることの背後にいるという筋書きを用意した。アサド政権は、平和的デモが行われている間、この筋書きを主張し続けた。それ以後、この筋書きは、シャリーアに基づくあらゆる統治によりラッカ県でダーイシュが国家を樹立し、ヌスラ戦線が出現した頃まで主張され続けた。

もし私たちがアサド政権と彼の秘密警察、そしてイスラーム過激派の有機的なつながりを示す諸事実を少しでも見逃していたのだとすれば、今なお多数のイデオロギーの関心を集める「国家」の性質を持つ存在を、「ダーイシュ」が打ち立てたという事実も、フィクションであると同時にゲームである。奇妙なことに、ものの数分で出来事が伝わる「村」世界において、未だに「フィクションかゲーム」の見方で政治的な惨事に対処している人々がいるのだ。

⑵に続く

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( 翻訳者:森本瑠 )
( 記事ID:42594 )