一時期、最も大きな雇用の源の一つであり、トルコ初の総合鶏肉生産メーカーだったムドゥル・ピリチが売りに出された。有名なブランドと加工場の売却のための提案は、6月15日まで募集中である。
始まりを1967年のボル県のムドゥルで踏み出したトルコ初の総合鶏肉生産メーカーであるムドゥル・ピリチは、昨年の5月に閉鎖された。300人ほどの労働者は、退職金を受け取り、退職した。
一時期、地域のもっと大きな雇用の源であったムドゥル・ピリチの加工場とブランドの買収提案を受け入れることにより、一括あるいは分割で売りに出された。ブランドの売却は、公示される。
■ボルの施設も売却される。
入手した情報によると、ブランドとボルにある加工場だけが売りに出される予定である。1年間、使用されていない加工場の中には、設備もそのまま残されている。
■施設は1年間閉鎖されている。
2007年に購入したパク・ピリチの所有者であるズハル・ダシュタン氏によって2016年に施設は再び閉鎖され、加工場の300人の労働者は退職した。パク・ピリチには代表取締役であるズハル・ダシュタン氏は、副会長のアナヒト・ボザジュヤン氏、役員のメルト・イブラヒム氏とアルト・セヴァン・オクサヤン氏がいた。ズハル・ダシュタン氏は、一時期、「健康な鶏肉のプラットフォーム会長」も行っていた。
■6月15日は、提案の締め切りである。
加工場を貸し出すのか売り出すのかが明らかになる公示において、買収の提案は6月15日までと発表された。ブランドと加工場のための予定価格は公示されなかった。入札によって行われない売却は、提出された買収提案の内容を検討することで行われる予定だ。
■2001年危機後、立て直しができなかった。
ムドゥル・ピリチは、1967年に国会議員だったテヴィフィキ・トゥレシン氏によって作られた。500匹の鶏から始まった会社は、2001年まで業績を伸ばし続け、鶏の数は2700万匹、従業員は2,200人へと膨れ上がった。2001年の危機後、トゥレシン家の負債により抵当に入った。その後、ムドゥル・ピリチは53%が2003年にグローバル国内外投資プロジェクト株式会社に売却された。
足元が定まらない会社は、2005年にドーウシュ・ホールディングの自動車部門の前トップであったイルハン・チェティンカヤ氏が購入したが、2年後に工場を再び売りに出した。今回は、2007年にパク・ピリチの所有者ズラル・ダシュタン氏がムドゥル・ピリチにブランドと工場の売却を実現させた。
■1時間で1万2,000羽の処理能力
売却の話題となっている施設のインフラと機械の90%は、1時間で1万2,000羽を処理する能力を持つ。設備の内には、1万1,400㎡の加工場と精油施設、処理施設、倉庫、研究所、宿泊施設がある。さらに、2万5,000㎡の用地にさらに包装施設と飼料工場もある。
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( 翻訳者:新井慧 )
( 記事ID:42763 )