コラム:私たちは何をしたのか?(2)
2017年06月30日付 al-Quds al-Arabi 紙

■私たちは何をしたのか?

【イブティハール・ハティーブ】

コラム:私たちは何をしたのか?(1)より続き)

私たちの土地や夢、尊厳、人々をバラバラにしたのは私たち自身なのだ。私たちが資源と人で豊かな地を享受しておきながら、その地を思想の砂漠、貧困に見舞われ、血塗られた不毛の地へと変えたのだ。私たち、かつての私たちが、60年代70年代に民族主義とアラブ性を謳い、80年代90年代には政府への忠誠と服従を謳った。そして21世紀初頭においては、私たちが、アメリカとイスラエルのためにだらしなく踊っているのだ。

私たち、私たちこそが何もかもをかなぐり捨て、宗派にしがみつき、宗派間を焚き付け合っているのだ。私たちはシリアやバーレーン、イエメン情勢に火をつけた。レバノンでは火種をつけ、リビアでも別の火種をつけた。エジプトでは宗教対立を、湾岸諸国には謀略を、パレスチナでは派閥主義を生み出した。これらの全てが醜悪でべとついた宗派主義の油で炎のうなりを上げている。もちろん状況はより深刻だ。中立的外交への介入、権益、金銭、領土欲には長い歴史があり、世の常である。強欲は人いればこそのものである。しかし事態は宗派主義の火種に始まり宗派主義の火種に終わるのだ。私たちが何を果たしてきてきたのか自問し、尋ねあうのをやめてしまえば、宗派主義の火種は燃え上がり、理性と論理に黒い影を落とし、全てのものがその火で燃え上がるだろう。最初に燃えるのが私たちの尊厳なのだ。

あなたの近隣の人がシリア人のように拷問され、イエメン人のように死んでゆき、バーレーン人のように抑圧され、リビア人のように散り散りにされ、レバノン人のように分裂し、パレスチナ人のように白昼堂々盗まれ、イラク人のように爆破され、カタール人のように包囲される地域で暮らすとき、あなたがこのような全ての苦悩、これら以外の計り知れない苦痛と隣り合わせで暮らすとき、間違いなくこの疑問が浮かぶだろう。

「おお神よ。一体私たちは何をしたのか」。

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( 翻訳者:朝武絢奈 )
( 記事ID:42975 )