内閣改造は、新たな時期に経済が一層前面に出ることを示している。
ヌレッティン・ジャニクリ副首相の国防省入閣により、メフメト・シムシェキ副首相が経済の唯一のリーダーとなった。メフメト・シムシェキ氏は、国際市場から大いに注目されている人物である。
エルドアン大統領は、4月16日以降に行われた閣議で、ロードマップを描いていた。2017年を変化、2018年を実行、2019年は選挙の年と宣言していた。これらは実現に向かって一歩一歩進んでいる。党執行部[改造]の後は内閣改造が行われた。次は、党組織と地方行政の番である。
内閣改造の舞台裏を見てみると、首相は、内閣に留まって欲しい人物を維持しているようだ。しかし、異動を望む幾人かも、閣内での地位を保ち続けている。それに加え、6名の国会議員が初入閣を果たした。また一方で、5名の大臣は、閣内で異動となった。
■内閣改造
新入閣の大臣たちを一人一人みていこう。しかしその前に、入閣を果たせなかった人物に触れておく必要がある。メフメト・ ミュエッズィンオール(保健大臣)、 ヴェイスィ・カイナク(外務相)、アーキフ・チャアタイ・クルチ(青年スポーツ相)、ファルク・チェリキ、トゥールル・チュルケシュ(副首相)、ナビ・アヴジュは、金属疲労のため、閣外となった。困難な時期に、彼らは重要な任務を引き受けた。そのために交替したというのが本当の所であろう。
内閣改造では各閣僚が選出された州や県のバランスも注目を引いている。アンカラ選出のトゥールル・チュルケシュが離任すると、ジュリデ・サルエルオールが、 ブルサ選出のメフメト・ミュエッズィンオールが内閣から出ると、ハカン・チャヴシュオールか、サムスン選出のアーキフ・チャアタイ・クルチが閣外となると、アフメト・デミルジャンが、シャンルウルファ選出のファルク・チェリキが閣外に出ると、アフメト・エシュレフ・ファクババが入閣した。メフメト・シムシェキとアブドゥルハミト・ギュルは共にガーズィアンテプ選出の2人の大臣となる一方で、カフラマンマラシュとエスキシェヒル選出の大臣はゼロとなった。アブドゥルハミト・ギュルは、憲法改正の際に、成功したパフォーマンスを行った。そのため、入閣が長らく待たれていた人物の一人であった。
■女性閣僚の増加
喜ばしいことは、初めて女性大臣の数が二人となったことである。家族社会政策省のファトマ・ベトゥル・サヤン・カヤ大臣がその地位を守り、ジュリデ・サルエrルオールが入閣した2人目の女性となった。しかし、ジュリデ・サルエルオールが労働相を引き受けたことで、女性は必ず家族社会政策大臣となる、という誤った認識を崩す点に役だった。過去に労働大臣であったイムレン・アイクトと内務大臣であったメラル・アクシェネルは、この点に関しては非常に好例であった。
■あの人は今は大臣
青年スポーツ相からアーキフ・チャアタイ・クルチが離任し、スポーツ界から来たNATO議会会議のトルコグループ代表と外務機関に所属する人物であるオスマン・アシュクン・バクが入閣した。エルドアン大統領は、クルチダオール(註)の時代に一般社会保険組合(SSK)に加入していたため、怪我をしたとき病院に受け入れてもらえ なかったことを回顧している。その事件を最も身近に知っているのがオスマン・アシュクン・バクである。エルドアン大統領は、1990年代にカルガセクメズで事故に遭っている。続きはエルドアン大統領から聴こう。
「我々は少し前にドゥズジェに連れていかれ、デュズジェでは病院は受け入れなかった。救急車はなかった。救急車が、だ。我々はまるで荷物を置くようにミニバスに乗せられた。けがを負った仲間の一人は我々の血清をもっていた。看護師すら手配されなかった。さらに我々はその状態でボルに向かった。国立病院で聞かれた質問がこれである!あなたたちは公務員か、それとも保険加入者か、である。そして『この病院では受け入れられない、SSKの病院に連れて行ってください』と言い、そこからSSKの病院に連れていかれたのだ。」
エルドアン大統領の許で、血清を入れた瓶をとった人物が、今や大臣のオスマン・アシュクン・バクである。人生を通して「レイス」(長の意味。エルドアンのこと)から離れない人物である。
シェレフ・ファクババはシャンルウルファ市長選で「ジャケット」事件で知られている。この事件での行動が人々の印象に残っている。
ギリシャのコモティニ出身のメフメト・ミュエッズィンオールは閣外となったが、再びコモティニ出身のハカン・チャヴシュオールが入閣した。チャヴシュオールは、公正発展党の働きバチである若い国会議員のうちの一人である。
ところで、この記事の中で内閣改造における県のバランスについて言及した。それに加えて、閣僚の子供の数割合も注目を集めた。前任・後任の保健大臣の2人とも、6人の子供がいる。今後、保健大臣となることを希望する者へ新たな基準が明らかとなった。6人の子供。これに応じて人事も。
(註)クルチダルオール共和人民党党首はかつてSSKの総局長を務めていた。
この記事の原文はこちら
原文をPDFファイルで見る
原文をMHTファイルで見る
( 翻訳者:章 由実 )
( 記事ID:43032 )