モロッコ:2つの現実に生きるモロッコ系移民(2)
2017年07月29日付 al-Quds al-Arabi 紙
■モロッコの移民:2つの異なる現実に生きる
【ウジダ:スフヤーン・アルバーリー】
しかし移民の故郷への郷愁の思いは、これだけでは終わらない。移民は毎夏、スーツケースに郷愁の思いを詰め、休暇に故郷へと帰るのだ。彼らは2つの異なる現実を生きているが、そのどちらにも属していない。彼らは移住先の国でも、祖国の国民の間でも移民であり、全くの欧州人でもなければモロッコ人でもないのである。これによって自分の祖国を異質なものとする認識が、移民の中に固定化されてしまう。すなわち、実際に根付いている帰属先ではなく、帰属先を探す行為が、彼らの認識をゆがめてしまうのだ。彼らはこうした行為によって、生活上の共同体意識の中に居場所を探す。否、これは彼らの現象上の空想的観念である。この観念は大概、先代の経験を通して継がれる伝統的行為の実践の中に収斂されていくが、そのほとんどは、共同体の確固とした歴史的文脈から分断されている。帰属意識という文化、あるいは移民たちが国旗を掲げることを常とする排外主義であっても、それは多くの場合にあって歪んでおり、より深い理知的理解に欠けている。またそれは、共同体全体への利益、すなわち共同体内に住む人民の利益を集約し、それに枠組みを施す政治社会的意識としての愛国主義や祖国という概念との経験的接触に欠けているのだ。
社会のよそ者か納税者か、気持ちは祖国に向きながら実際には移住先の国に従事する市民か、このように揺らぐ移民の状況は、我々に彼らの実相を認知させる。こうした実態に求められているのは、移民との文化知的関係を構築する更なる働きかけ、そして同じくこの種の関係を構築する更なる努力である。そうして国民統合と祖国への帰属権が達成されるのだ。これが叶った時、移民は、祖国に住む国民として、また民族的な広がりとして海外へと旅立っていくだろう。
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( 翻訳者:高橋 舜 )
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