コンヤでアナトリアセルジューク朝期に造られたアラーウッディンモスクの墓廟で、修復の間、セルジューク朝スルタンの遺骨の一部が犬に食べられてしまった。数年を経て、クルチ・アルスラーン2世やアラーウッディーン・カイクバード1世の遺骨が証明された。遺骨は、スルタン2人のため、2度目の葬儀礼拝が行われた後、墓廟に埋葬された。ニュース詳細は下記の通り:
■スルタン8人が眠る
コンヤ中心部にある「アラーウッディンの丘」で知られている埋葬塚にある歴史的なアラエッディンモスクは、セルジューク朝スルタンのマスウード1世治世下の晩年に建造を始めた。クルチ・アルスラーン2世治世下で建造は続き、アラーウッディーン・カイクバード1世治世下の1221年に完成し、礼拝に使われるようになった。モスクの庭にある墓廟には、セルジューク朝スルタンのマスウード1世、クルチ・アルスラーン2世、スライマーン2世、カイホスロー1世、アラーウッディーン・カイクバート1世、カイホスロー2世、クルチアルスラン4世、カイホスロー3世の遺体が存在する。遺体は、「地面の下Zir-i zemin」と呼ばれる地下にある一室に葬られた。
■犬が遺骨をくわえて、持ち去った
1960年代に墓の修復及び清掃が行われた際、労働者らがスルタンたちの骨を棺の下にある墓より取り出し袋に詰めた。ただ、夜に開けっぱなしの換気口から入り込んだ犬が、口が開いた袋の中にあるスルタンの骨の一部をくわえて、逃走した。翌朝、状況が明らかになった。骨は、「アラーウッディンの丘」やその先にある文化公園周辺に散らばっていたので回収された。アラーウッディンモスクで2014年に再び修復が開始された。
■シアン化物に近い毒を盛られた
現在続いている修復作業の中、過去に荒らされ、何年も埋葬されないままになっていた骨のうち、スルタンクルチ・アルスラーン2世と息子のカイホスロー1世の骨が、頭蓋骨との比較から証明された。科学的手法に基づき、歴史文書中の顔、頭の構造、当時の傷など明示的な特徴により証明され、スルタンの1人がシアン化物に近い毒を盛られているとする主張がなされた。
■県知事も礼拝に参列
明らかになったスルタン2人の遺体は、7月28日に再びイスラーム様式に従って整えられ、コンヤ県知事のヤクップ・ジャンボラト氏、公正発展党所属の国会議員2名、高級官僚が参列し、コンヤ県のムフティであるアリ・アルプナル氏が葬儀礼拝を執り行い、再び埋葬された。墓廟にあった他の6人のスルタンの遺骨の処置については謎のままだ。本件に関し、コンヤ県知事局と、県文化観光局は、コメントをださないでいる。アラーウッディンモスクで継続されている修復作業では、さらに、モスクの庭にあるスルタンの墓廟の周りで、時間の経過と共に崩壊し忘れられていたオスマン帝国期の墓廟及び墓地は再び元通りになる、とされている。
■2004年にヒュッリイェト紙の見出しを飾った
2004年3月21日付ヒュッリイェト紙は、このスキャンダルを、「スルタン8人の身に起こったこと」との見出しで報じた。ムラト・バルダクチュ氏の署名記事では、セルジューク朝の主要スルタン8人の墓が点検するために開けられ、墓から取り出したものが放置され、夜間に墓にきた犬が遺骨をくわえて持ち去り、後に残っていたものが、翌朝アラーウッディンの丘の四方から集められ、8つの棺に目分量で戻され、コンヤ県知事が本件に関し行った調査結果は出ていない、と報じされた。ルーム・セルジューク朝初期の8人のスルタンは、王朝の最盛期を築いた。スルタン8人は、アルプ・アルスラーンが始めた仕事を完成させ、アナトリアをトルコ人の地へと変えたのであった。
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( 翻訳者:山根卓朗 )
( 記事ID:43469 )