首相府集合住宅局(TOKI)が、リゼ県の有名なアイデル高原で適用される都市開発プロジェクトに関する意見集めのために2日間に渡る調査会議を開始した。
アイデル高原にある広場で行われた調査会議には、公共、民間、NGO、民間の人が参加した。プロジェクトコーディネーターのハカン・アチュル氏は、アイデル高原が持続可能で次世代に引き継ぐことを目指していると公言し、無計画に開発が進められてきたアイデルは、徐々になくなりつつあると述べた。アチュル氏は、「TOKIが行う働きによって、アイデルは再び古き美しさと地方建築を取り戻す。高原は世界の観光に語りかけ、トルコを紹介することになるだろう。」と話した。
TOKIの都市再開発局長のギュロル・コンヤルオウル氏も、5つの省と共に、県知事府や郡知事府がアイデル高原の衰退し、失われつつある特色を、再度地域の古きアイデンティティや地方感性に結びつけるために、共同作業を行うと述べ、この件について懸念を抱かぬよう求めた。
■『開発計画はあったが、我々が従わなかったのか?』
調査会議で、アイデル高原で建設業に携わっている人々も発言した。ドゥルスン・ダルガという名の経営者は、高原で長年開発計画が実行されていないことを批判しており、以下のように述べた。
「開発計画はあったが、従わなかったのは我々なのか?我々はこの目に見える緑の高原を守り、我々の財産や土地やお金をここに投資し、アイデルを今日にもたらした。いかなる役所の長も開発計画を行わなかった。住民皆が罪人なのか?ここ以外に我々の行く場所はないのだ。」
メルイェム・チョラク氏は、アイデル高原で実行が望まれていることに関して、担当者の口から情報提供されることが望ましいと述べ、「我々はアイデルを守っている。祖先はアイデルを我々に委ねた。我々の他にアイデルを守ることなどできない。TOKIに反対しているわけではない。しかし何が行われるのかを我々は知りたいのだ。」と述べた。
調査会議は10月16日に行われる会議で終結する。
■保護のための決定は5通り
チャムルヘムシン地方にあるアイデル高原は、1987年の閣僚会議の決定により『観光拠点』と宣言された。それと同時に、役所周辺地域にあり自然の美しさで名をはせる高原で、この日をもってランダムに建築が始まった。1994年に国立公園、1998年には自然SIT広場と公言され、保護下に置かれたアイデルは、2006年に閣僚会議の決定により、『文化と観光の保護開発地域』と公表された。1998年に自然SIT広場として宣言された高原では、法律に基づき、知事によって2年以内に保護的開発計画を策定する必要があった。しかし、その後19年が経過したにもかかわらず、高原の開発計画は準備されなかった。
■アイデルへの大統領の反応
大統領、公正発展党(AKP)党首のレジェプ・タイイプ・エルドアンは、リゼを訪れた際、アイデル高原の破壊された自然の美しさに注目し、「神が我々に与えたアイデルは完全に変わり果てたが、我々がアイデルを汚したのだ。」と述べた。
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( 翻訳者:川田知果 )
( 記事ID:43575 )