イルベル・オルタイルによる「アタテュルク愛の秘密」
2017年11月10日付 Hurriyet 紙


アタテュルクの死から79年の日。いまだに何百万もの人々が黙祷やアタテュルク廟訪問や、SNSでのメッセージで追悼した。イルベル・オルタイル教授によれば、こうした関心が年を追うごとに高まり続けている秘密は、アタテュルクが世界でも稀な指導者だったことだ。オルタイル教授の視点よるアタテュルクと11月10日は次のようなものだ。

 「アタテュルクは、オスマン帝国が最底辺の最も貧しい地域に押し込められるという危機から救い出し、さらには第一次世界大戦で荒廃した国から新しい共和国を建国した。産業を一新し教育を発展させ、が医療制度をつくった一方、西欧文明に対して勝利を勝ち取ったが、西欧文明を取り入れることもいとわなかった。勝利の中でも自身の弱点を知り、見通していたアタテュルクは、2度にわたり勝利した。戦争に勝利し、西欧を追い払いはしたが、西欧文明に対しては弱みがあり、それを補った。

 アタテュルクは、勝利に酔うことはなかった。自分を失わなかったことで、変化する社会が生まれた。この変化する社会には不充分なところもある。それに、変化には、トルコに合う点も、合わない点もある。だからこそ、その変化を生み出した指導者は忘れ去られることがないのだ。こうした理由から、毎年11月10日には深く感情のこもった(黙とうという)行動が、公式行事の他に行われている。一般大衆はそうした行動を心から行う。街頭の群衆を見てみるといい。どれほど整然としているか。しかし誰かがそれを組織したわけでもない。皆、自らすすんで整然としているのだ。なぜなら、共通の気持ちを持った一般大衆は、素早く整然と動き、集まることができるのだ。

■「学校では、公式行事ではなく、(アタテュルクを)応援する声があった」

 アタテュルクは世界でも稀な指導者だ。毎年、9時5分過ぎにそうした行動が行われるのは、私は非常に好ましく思う。我々には繋がりを持つ何かがあり、それが私たちがただの集団ではなくひとつの社会であることを示している。ほとんど時が止まる。その数分の間、動きを止めた人々は、何も失うことなどなく、多くのものを得る。アタテュルクの命令のもとで動いた1世代があった。ペニシリンの無かった時代に医療や予防注射を進め、道もなかった村々で子供たちに教育を広めた。アタテュルクが亡くなった後、そうした空気は変わったように思われるが、新しい世代が再び彼の周りに集っている。今日、近くの学校には、公式行事ではない、応援の声があった。大学の若者の間でも、街を埋め尽くす何万もの人々の間でも、これは見て取れる。」

■9時5分

 ムスタファ・ケマル・アタテュルクが79年前に息を引き取った時間である9時5分、トルコ全土で時が止まった。学校の生徒たちはトルコの父を親愛と思慕の念をもって追悼し、あらゆる世代、階層の人々が黙とうするのが、写真に写っている。黙祷には、車を止め車から降りたドライバーや歩行者、バスの中の乗客、さらにはクレーンの上で働く作業員たちも加わった。

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( 翻訳者:貝瀬雅典 )
( 記事ID:43741 )