Ahmet Hakanコラム:アブドゥッラー・ギュルは、もう終わり
2018年01月12日付 Hurriyet 紙

「リーダーであること」、「リーダーの遺伝子を持つこと」、「リーダーが生まれること」などの言葉や表現を、私は敬遠している。
しかし、それにもかかわらず、このことは安心して断言できる。

アブドゥッラー・ギュルからはリーダーシップが生まれないということ
アブドゥッラー・ギュルはリーダーになりえないということ
アブドゥッラー・ギュルはリーダーシップを示すことができないということ

これらは、火を見るより明らかである。
*
では、一体何があって…
これらことが火を見るより明らかになったのか?
*
次のようなことがあった。
タイイプ・エルドアン大統領は、いつものようにリスクを犯して…

アブドゥッラー・ギュルに立ち向かった。
アブドゥッラー・ギュルと袂を分かった。
アブドゥッラー・ギュルに態度を明確にするよう迫った。
*
これに対し、アブドゥッラー・ギュルはいつものように、リスクを負わなかった、あるいは負うことができなかった。

エルドアン大統領のこの大きな対抗に対し、
一言も発しなかった、発することができなかった。
ごくわずかな対抗どころか、誤解があるとすら言えなかった。
小さな声での対抗どころか、「だが、これは不当だ」とすら言えなかった。
せめて最低のラインで筋を通すことすらせず… 何の態度も示せなかったのだ。
*
何よりも、自分自身に向けられた最も酷い批判に対して、弁明さえもできない人間が…
どのようにして人々を守れようか。
*
彼にはつくづく同情する!
この歌はここで終わりだ。

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( 翻訳者:神谷亮平  )
( 記事ID:44138 )