■戦争が生んだ、ベイルートのアラブ料理店
2017年10月19日付『ハヤート』
【ベイルート:ファーティマ・ナスルッラー】
40年間アレッポのレストランやホテルで歌手・ミュージシャンとして生活してきたカマール・アブールファドゥルはシリア内戦によって、彼が心から愛していた街から避難をし、ベイルートに移住して芸術家としての新たなキャリアを始めることを余儀なくされた。
午後1時から夜の9時の間、レバノンの首都のハムラ地区の〈アレッポの家〉というレストランで、ウードを抱え、アバーヤを着て、タルブーシュを巻いて、アブールファドゥルは悲しみが顔に現れているにもかかわらず、微笑みながら訴えているかのように歌っている。
「アレッポでの厳しい状況により、私はここに来ざるを得なかった。ミサイルが私の家の真ん中に落ち、破壊が広がっていた。町に音楽学校を持っていたため、仕事の機会を得てからすぐ家族をそこに移し、私はベイルートに来た。この厳しい状況で、私の妻と三人の息子が彼ら自身で生きていけるように、私は毎回200ドルを送っている」
〈アレッポの家〉は2014年に開店し、間もなくベイルートの広い範囲で名声を得たレストランの一つである。しかし、店長のムスアブ・アル・ハーディリーが本紙に語ったことによると、それを始めることは容易ではなかった。
(中略)
〈アレッポの家〉から少し離れたところに、伝統的なイラク料理を専門とする二つのレストランがあり、そのうち〈イラークル・ハイル〉の店長はアフマド・アッサアドである。
イラクの料理が湾岸諸国の料理に似ているため、数年前まで客の大部分はベイルートに来た湾岸諸国の旅行者だった。近年のシリアでの事件に続いてレバノンで安全保障上の緊張が高まったので、湾岸諸国からの旅行者も大きく減り、それに伴い店の客の割合も減ったとアッサアドは述べている。
今日では、食堂は、留学、治療、または観光を目的としてレバノンを訪れたイラク人の客に大きく頼っている。おそらく、イラクの状況は、食堂の店主である30代のイラク人青年にベイルートで店を設立させた主な原因の1つである。彼は約7年前に治療のためにベイルートへやって来て、そこに留まり、食堂を開いた。
「私が住んでいたバグダードの状況は悪く、ISISの参戦後、事態はより難しくなりバグダードで暮らすことは辛い。国外での安住と投資を考えているのは私だけではない。今は全てのイラク人が逃げたがっている」
(後略)
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( 翻訳者:教養アラビア語中級クラス )
( 記事ID:44175 )