ナーズム・ヒクメトの手帳、YKY出版の5000冊目に
2018年02月07日付 Milliyet 紙


ヤプ・クレディ出版は、タイトル数として5000番目の本、『ナーズムの手帳に記された闘争、愛そして詩のメモ』を読者に提供した。

ヤプ・クレディ文化芸術出版総合取締役ギュンゲン氏は、「我々の5000冊目の本は、『ナーズムの手帳に記された闘争、愛そして詩のメモ』となった」と話した。

チュライ・ギュンゲン氏はこの件に関する発表で、

「一年間で約250から300の新刊を出版しています。かなり多くの作品は再び版を重ねます。これも一か月で10から15の本になります。子供向け、歴史、芸術、哲学、文学からなる5つのジャンルをメインに本を出版しています。」

「去年、最も多く売れた本はサバハッティン・アリの『毛皮コートのマドンナ』でした。しかしまたサバハッティン・アリの『クユジャクのユスフ』、ヤシャル・ケマルの『インジェ・メメド』、オルハン・パムクの本、オルハン・ヴェリ及びナーズムの詩は常に最も売れる本の中に入っています」と述べた。

特別号で祝うことの重要性に言及したギュンゲン氏は、「1000番目の本は1999年に出版されたアロシュナーメでした。2000番目の出版は 2004年の『イブン・バットゥータの旅行記』、3千番目の本は2009年の『キャーズム・カラベキルの日記』、4千番目の本は2013年のアラ・ギュレ ル氏の写真とトゥルハン・セルチュク氏のイラスト付きのヤシャル・ケマルの『子供たちは人間だ』でした。5000番目の本はというと『ナーズムの手帳に記された闘争、愛そして詩のメモ』になりました」と話した。

ギュンゲン氏は、5千番目の本に関してナーズム・ヒクメト・ランが1937年と1942年の間に、イスタンブル、アンカラ、チャンクル、ブルサの刑務所にいたときに書き留めた手帳を本の形にしたと伝え、以下のような情報を与えた。

「手帳は小さい。薄いものもあれば、幾分厚いものもあります。これらはファクシミリ版の形で本にしました。つまり手帳を纏めた本になったのです。 全てのページにわたり書き込みの一部は鉛筆で書かれたため時間の経過と共に消えたようです。古くまた新しい記述と並行してキリル文字で書かれたものから、容易に読めるようにと、さらに角度までも確認して、特別なデザインによりこれらを本としたのです。それらのページの下にも、その時期やまたそのページの書き込みに関する解説がついています。これらの一部は、詩に関する草稿や下書きであったり、裁判に関するメモでした。このようにして6つの手帳が6冊の本となったのです。また数多くの資料、写真、手紙、電報 ―つまりこれらの多くは初めて出版されるのです― そして幾つかの補完研究も 『補遺』として7巻目の本に纏められました。このようにして7冊の本は一つの箱にまとめ、私たちの5千番目の本となったのです。」

■「全ての本に同じような細心の注意を払っている」

 準備する本をそれぞれ重視していると強調するギュンゲン氏は、「全ての本へ同じような細心の注意を払っています。しかし、このおめでたい数字は少しばかり異なります、より多くの人の関心を引くことになる本を企画しています。そうでなければ、全ての本は、私たちの仕事のスケジュール及び心の中で同じ位置を占めています」という表現を用いた。

ヤプ・クレディ文化芸術出版総合取締役のギュンゲン氏は、再出版される本のことも強調しつつ以下のように続けた。

「年間約250から300冊の新刊を出版しています。かなり多くの作品は、再出版されます。これもまた一か月間に10から15となります。子供向け、歴史、芸術、哲学、文学からなる5つのジャンルをメインに本を出版しています。私たちが新しく始めた21世紀の本というシリーズもあります。それもまた21世紀の環境と健康といった問題を扱っていますが、そのタイトルの数は恐らく5-6ほどでしょう」という表現を用いた。

去年約500万冊の本を読者に提供したと強調したギュンゲン氏は、いつもたくさん売れる本があるとして、「去年、最も多く売れた本はサバハッティン・アリの『毛皮コートのマドンナ』でした。しかしまたサバハッティン・アリの『クユジャクのユスフ』、ヤシャル・ケマルの『インジェ・メメド』、オルハン・パムクの本、オルハン・ヴェリ及びナーズムの詩は常に最も売れる本の中に入っています」と述べた。

 チュライ・ギュンゲン氏は、今日、トルコ国内外作家を半々の形で読者に提供するヤプ・クレディ出版の創設期を以下のような言葉で説明した。

「ヤプ・クレディ出版の最初の種は1945年に『ドアン兄弟誌』の出版で始まりました。ドアン兄弟出版はその時期幾つかの本を出版していました、子供および大人向けの。真の出版業への参入は1988年のことです。設立された有限会社は、1992年にYKYのロゴと出版プログラムによって事業をより計画的で構造的なものとしました。1945年から1992年までも何百冊かの本が印刷されましたが、その後更に出版社としての性格を強めて事業を開始しました。」

■「5千冊の本で5000の数を書きました」

ギュンゲン氏は、5千番目の本を祝うためにヤプ・クレディ文化芸術社はベイオウルにある拠点で5千冊の本から成る特別な壁を作り上げたとし、「5千冊の本で5000という数字を書きました。これはシンボリックな価値があると考えています。同じ場所に備えたスクリーンでも実際に映る5千冊の本のカバーを一つ一つをご覧になることでしょう。それと同時に我々の作家とイラストレーターの写真、私たちの仕事の写真も画面で見ることが出来ます。それが素晴らしいデジタルの壁となったのです。私の背後も物理的な5千冊の本の壁になりました」と語った。

『ナーズムの手帳に記された闘争、愛そして詩のメモ』は、あるグループがメメト・フアト・アーカイブの中のピラーイェ・コレクションを調査した結果であり、ユジェル・デミレルの編集により完成された。ナーズム・ヒクメトの詩作業、恋愛、囚人時の様子を提示する6つの手帳と並行して、手元の資料及び写真も7巻目の「補遺」に収めた。

ヤプ・クレディ出版は、「芸術世界」、「コギト」、「本棚」という雑誌も読者に提供している。

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( 翻訳者:堀谷加佳留 )
( 記事ID:44326 )