アタキョイ海岸開発計画中止、公園へ
2018年03月31日付 Milliyet 紙


スルタンがコーヒーを飲んだバルトハーネ塔もあるイスタンブル・アタキョイの60ドゥナム(約6万平方メートル)の土地が市民に開放されている。集合住宅局(TOKİ)は、イスタンブル市とともにこの土地を巨大な公園に変える予定だ。この地域に3kmの海岸道が整備される。専門家らによると、公共事業許可があるこの土地の現在の価値は20億リラに達するという。

政府は、建設の集中が何年にも渡って議論されてきたイスタンブル・アタキョイの浜辺のビーチを再び活性化するための行動に移った。最初に、イスタンブルの最も価値のある土地であるアタキョイにある火薬工場(バルトハーネ)の土地を市民に開放している。

サバフ紙のデリク・ギュンギョル記者の報道によると、TOKİは、所有権を有していたこの土地を、2010年に建設計画が作られたため入札によってチェレビジャン社に譲渡したが、その計画を中止した。60ドゥナムの土地は緑の公園となった。この土地は25年間イスタンブル広域市に貸与され、巨大な公園が作られる予定だ。

この土地にある歴史区域も補修される。TOKİは、その後アタキョイのガレリアからアヤ・ママ川までの3kmの海岸地帯を人々の利用のために作り上げる。海岸に作られた無許可の建物は壊され、ビーチが作られる。専門家によると、公共事業許可のあるこの土地の現在の価値は20億リラだという。政府はこの土地を人々に開放し、この収入も放棄したことになる。

■賃料を払わなかった!

TOKİのメフメト・エルギュン・トゥラン局長は、この土地の過去に関する重要な情報を開示した。この情報によると、この土地は2010年にTOKİによって入札にかけられたという。地役権は49年間、年600万リラでチェレビジャン建設社に与えられた。

同社は、借りた土地に計7ブロックからなる建設を行う予定だった。建設のためにトラックがこの土地に入り、杭が打ち込まれた。同社は、入札後の8年間で200万リラを建設現場に費やし、4000万リラの賃料を支払った。しかし、2017年に賃料の支払いが行われなかったため、TOKİは契約を無効にした。

■25年間İBBに貸し出し

TOKİのエルギュン・トゥラン局長は、2週間前にイスタンブル広域市(İBB)と協定を結んだことを明らかにし、「この土地を25年間İBBに貸与した。広域市はここに公園と遊泳区画、埠頭、緑の公園を建設する。ここは市民が利用できるよう開放される。今年中に公園が完成する予定だ。市の共同事業者のうち1社がここを管理する。収入があった場合、その50%は行政に残される」と述べた。トゥラン局長は、このプロジェクトをレジェプ・タイイプ・エルドアン大統領に提案したと述べ、「大統領も支援している我々のプロジェクトを一刻も早く実現する」と話した。

■これは考え方の変化

トゥラン局長は、アタキョイ海岸への建設許可は1991年に与えられたことに言及し、「この土地は2010年の公共事業許可によって入札にかけられた。我々はこの土地における建設計画の実行をやめた。ここで建設を行えば、政府は数十億リラを稼ぐことができただろう。しかし、政府はここで自制心を示している。これは実質、考え方の変化が反映されたものだ」と述べた。

■歴史的建造物の修復

トゥラン氏は、この土地にある歴史的建造物の修復が行われると説明し、「アタキョイ海岸の土地を除く海岸帯の利用権は行政に属する。イスタンブル市民はバルトハーネから海岸まで伸びる約3kmの地帯の中で、海に入ることができる。このため海岸通を新たに整備する」と話した。

■スルタンたちがコーヒーを飲んだ塔…

人々に開放されるアタキョイの土地は、歴史的にも非常に重要だ。この土地に、オスマン政府の最大にして最も近代的な火薬工場が作られた。マクリキョイ火薬工場は、立法者スルタン・スレイマン(1世)の時代の有名な財務長官(デフテルダール)であるイスケンデル・チェレビーの土地に、1700年代に建設された。一端はズフラトババ地区の側に、もう一端はアヤ・ママ川まで伸びる広大なこれらの施設のいくつかは、未だに残っている。海岸のバルトハーネ塔は、1972年に休憩用の東屋としてセリム3世によって作られた。セイル塔は、セリム3世、マフムト2世、アブデュルメジトが火薬工場訪問の際に出て座り、コーヒーを飲んだ場所だった。計画の現場は、オスマン時代、マクリキョイにおいて、オスマン帝国の財務長官イスケンデル・チェレビーの庭として認識されていた。

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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:44580 )