ベシクタシュ遺跡発掘、新発見続々
2018年08月18日付 Hurriyet 紙


ベシュクタシュでの地下鉄掘削現場でサプライズが相次いでいる。文化観光省の許可を得てイスタンブル考古学博物館が行っている青銅器時代の墓地の発掘では、これまでに69基の埋葬型墓地が発見された。驚くべき発掘は、5500年前の人形(古代の彫像)2体である。母娘と考えられる像はそれぞれ10cmと7cmで、写真掲載はHürriyet紙が初めてとなる。

ベシュクタシュ広場で続く地下鉄駅の掘削中に膨大な埋葬墓が発見された。青銅器時代のトルコの人々の間で埋葬形式の墓をつくる文化があり、民族移動時代にこの地域に人々が移住したという説もあった。この墓地跡では、半屈葬、完全屈葬で遺体が埋葬されていた一方で、火葬型の埋葬も発見された。当初は、鉄器時代初期(紀元前1200~1000年代)のものであると推測されていたこの墓地は掘り進むにつれ、歴史をいっそう遡った。そして前期青銅器時代の初期(紀元前3500~3000年)と特定される墓地の発見とともに、イスタンブルの歴史にまったく新しい情報がもたらされた。専門家は、この発見をもってイスタンブル最古のトルコ人の痕跡とするのは時期尚早と述べているが、発掘が進めばその説が後押しされるとも口にしている。中央アジアの草原文化が海辺のベシュクタシュまでいかにして到達したのか、バルカン半島から南下したのか、それともアナトリアを越えてからバルカン半島を通過したのか、集中的な研究が続いている。放射性炭素C14年代測定法や墓頭蓋骨から採取されたDNA検査が、この説をより強固なものにすると考えられる。

■「タムガ」と呼ばれるシンボル

今から5500年前のものとされるベシュクタシュの青銅器時代の墓地群で続く発掘調査を、文化観光省の特別許可により現地で見学した。そして先日、25番屈葬墓地群のなかにある火葬式墓地内部で、焼かれた骨に混じって2体の人形が発見された。一つは大きく、もう一つは比較的小さいサイズの人形は、一対となって、つま先同士が接するかたちで慎重に置かれていた。人形の顔面は人間の姿形をしており、頭部は楕円形で二股になった枝や葉を表現したとおぼしきシンボルが彫られているのが見て取れる。アナトリアで入手された別の人型像では、様式化されているとはいえ目や口といったパーツがはっきりと見られる。一方でベシュクタシュで発見された人形は、目や口は明瞭ではなく、足部分はひとまとめになっており、つま先部分は彫刻によって指の表現が施されていることがわかる。胴体部分は上部が肩の突起となるような形で様式化されており、胴体表面には表面とサイドは刻点による装飾で縁取られている。この装飾は縦2列に並んでおり、縁取り内部のスペースには直線で描かれた人間の姿がみられる。その棒人間の頭部はV字型で腕と脚が両方向に開かれている。こうした様式化された人間のイメージは様々な遺物の表面に描かれ、モルドヴァ、ウクライナ、ルーマニア北部でみられるククテニ・トリピリャ文化との相似性をもっている。アジアの葬送文化の研究者らはこうしたシンボルを「タムガ」と呼ぶ。人形の背面部には頭部と胴体にまたがる形でシンボルが彫られていることがわかる。

■2体は感情的なつながりがある可能性

発見された2体の人形の形と装飾の相似性や墓地内に置かれていた状況からみて、2体の間には感情的な絆がある可能性があると考えられている。また、似た特徴や、1体は大きくもう1体は小さいことから、人形は母と子を表したものではないかという見解を与えてくれる。これまでに発掘された69基の墓にのうち、一基にのみ内部に人形が見つかったことは、この墓に埋葬された二人が、当時の社会で宗教的あるいは社会的な立場という意味で特別な地位を持つ人物だった可能性も高まっている。

■「類例は見つかっていない」

イスタンブル考古学博物館のラフミ・アサル館長は、「人形2体は今回の発掘で初めて出土した。墓地発掘の途中で土製のカップが出土していた。これは2基の屈葬墓の間に焼いた粘土によってつくられていた。興味深いのは、これまでまったく類例が見つかっていないことだ。我々の調査では一体すら相当する類似品は発見できていない。似たものはククテニ・トリピリャ文化として出土している。モルドヴァ、ウクライナ、ルーマニアには似た形があるのだ。描かれているシンボルは非常に興味深い。この件では専門研究者の協力を求めている。2体の人形のいずれにも、類似のシンボルはある。専門家が今、シンボルを調べている。それらを解き明かすことで、根本的な問題に答えることができるだろう」

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( 翻訳者:原田星来 )
( 記事ID:45239 )