エジプト:長編小説は決して滅びない (1)
2018年10月15日付 al-Quds al-Arabi 紙
■皆さんにお尋ね:長編小説の時代は終わるのか?
【イブラーヒーム・アブドゥルマジード:本紙】
前世紀の70年代以降、私は一度だけ「この20世紀は長編小説の時代である」と述べたことがある。そう述べた理由はごく単純だ。私は短編小説を専門としていた60年代の作家の一部、サナアッアッラー・イブラーヒームやアブドゥルハキーム・カーシムといった作家が長編小説を執筆し始めるのを目にしたのだ。当時、私はすでに短編小説から長編小説へと転向していた。私と同世代の作家にはアブドゥ・ジャビール、ムハンマド・マンスィー・カンディールがいた。我々は、短編小説を始めたものの、その時すでに長編小説を発行し始めていたのだ。ユーシフ・イドリースやユーシフ・シャールーニー、イドワール・ハッラートなどが50年代から短編小説を世の中にあふれさせてきたものの、60年代の作家と批評家らは、60年代という時期を「短編小説の時代」と呼んでいたのであった。ところが実際には、長編小説は70年代に全世界を圧巻し始めたのである。そして残念なことに、詩や短編小説への関心が薄れてしまった。ここ15年間で登場した様々な賞は全て長編小説を対象としている。すべてのアラブの国で人口が増加し、作家の数も増加した。イラクのように詩がたなびく旗であった(=優勢だった)国々も、長編小説の分野に広く進出してきた。それから、サウジアラビア王国やその他の湾岸諸国のように、書籍に対する検閲があるためにこのような長編小説への進出から遠いところにあった国々であっても、その国外での出版活動は、何十人もの優れた作家たちにチャンスを与えた。それらの作家は今や現役世代となっている。エジプトの状況から類推するに、とりわけ非常に大きなジャンルとなったホラー長編小説とSF長編小説を見た場合、長編小説の作家の数が読者の数よりも多くなったことが直ちに想像される。
長編小説に対するこの驚くべき、そして無文別な作家の乱立は、批評の論壇を混乱させた。Facebook 上の挨拶と「いいね」は、表現の一領野となった。「いいね」の数を稼ぐ有料ページが確立し、真実は買われるものと化しつつある。そのような買収行為はもちろん、「いいね」の数よりは少ないが、それでも規模が大きい。頂点に向かうこの混乱は、その頂点を噴火せんとする火山の終末だと私に見せしむる。そこで私は、Facebook 上で「長編小説の時代は終わるのだろうか?」と問うた。「いいね」や「お気に入り」だけではなく、コメントもつけるようにお願いした。私は、様々な世代の長編小説作家、詩人、評論家、読者、映画作家、さらに文化の領域に携わっている人々からも、100を越える多数のコメントを頂き実に驚いた。
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( 翻訳者:了源康平 )
( 記事ID:45603 )