エジプト:長編小説は決して滅びない (2)
2018年10月15日付 al-Quds al-Arabi 紙

■皆さんにお尋ね:長編小説の時代は終わるのか? (2)

【イブラーヒーム・アブドゥルマジード:本紙】

私は頂いたリプライを分類することにした。その多くが似通っていて、すべてをここに書き尽くすことはできないからだ。同様に、本記事に与えられた紙幅を取ってしまうので、協力してくれた人々のお名前をすべて書き記すこともできない。リプライを次に述べるようなグループで見出すことが出来る。最大のグループは、長編小説の時代が終わることはないが、他の芸術が長編小説に侵入してくる可能性はある、というリプライである。なぜなら、この荒廃した世界において、長編小説は作家の叫びだからだという。「長編小説は人類誕生以来、人類と共に歩み続けてきた口承に由来する芸術であり、それを止める方途はない。なぜなら長編小説は、古代の英雄叙事詩の継承者である。長編小説の形態は変化するかもしれないが、長編小説が死に絶えることは決してない。長編小説は、映画や演劇のような他の芸術を支柱なのであるから、どうして終焉を迎えるなどということがあるだろうか。多くの場合、長編小説の作品が劣化することはあるかもしれないが、長編小説が芸術として死に絶えることはない。むしろ、私たちの暮らす流動的社会状態であれば、長編小説の作品は増えて、別種の形態を見つけ出すかもしれない。まことに、今や私たちの人生は、アラビア語長編小説に対しチャンスを与えている。しかし、そのチャンスは同時に世界的でもある。なぜなら、長編小説こそが、口承、伝記、英雄叙事詩に始まって現代の形態へと至り、全ての時代を通じて持ち堪えてきた芸術であるからだ。

同様に、長編小説は書き方において常に新たな形態を開拓し続けている。現行の形態が消滅するかもしれないが、個人または集団の記憶が在る限りは、長編小説の為のチャンスは常に存り、死に絶えることはないのである。なぜなら、そのチャンスが死滅ことは、ファラオの時代から私たちに届く口承と知恵の死を意味するからだ。それでは、例えばどうしてこれまで長編小説は死滅しなかったのであろうか。取るに足らない長編小説が多くあるといえども、世界中に優れた長編小説がたくさんあるからだ。

(記事ID: 45605 に続く)

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( 翻訳者:了源康平 )
( 記事ID:45604 )