オスマン帝国時代の建築で最も重要なもののひとつでミーマール・スィナンの作品であるスレイマニエ施設群が昔の姿に戻ろうとしている。5年前に閉鎖したスレイマニエ・モスクの足元にある50店舗へ、古本屋と今はない職種の入店が計画されている。近日中に入札される予定の店舗群の最新の状況を写真に収めた。
オスマン帝国のスレイマン1世時代に建設され、ミーマール・スィナンの監督指揮のもと作られたスレイマニエ施設群の店舗部分は、修復のため5年前に閉鎖されていた。約468年の歴史を持つスレイマニエ施設群の店舗は、一時期鋳物工の市場であった。
ファティフ施設群に次いでイスタンブルで2番目に大きな施設群であるスレイマニエの敷地には、50店舗が入っている。イスタンブルの白黒写真に残っている歴史に、再び息が吹き込まれようとしている。近日中に店舗の入札が行なわれる。
イスタンブル広域市は、スレイマニエ施設群の1階部分のこれら店舗を古本屋にして、店舗群が様々な社会設備を整えることで活用されるよう計画している。
3月に協定調印
文化財プロジェクト局により作成された‘スレイマニエ・モスク下の店舗活用へ向けての調査・回復・復元計画目標’が完成され、第一再生区画保護機構により承認された。店舗復元を可能にするため、復元・修復に見合う賃貸モデルの枠組みで、21年間の賃貸という条件で、2018年3月9日にイスタンブル広域市とイスタンブル・財団第一地域局間で、協定が調印された。プロジェクトは数日前に機構側に承認された。プロジェクトは、このあとイスタンブル市建設事業局により遂行される。
「その歴史は16世紀にさかのぼる」
スレイマニエ施設群の歴史に詳しい芸術史研究者のハイリ・フェフミ・ユルマズ氏は、次のように述べている。
「スレイマニエは、オスマン建築の最も輝かしい遺跡の1つであり、イスタンブルにある傑作の1つである。設計時に土地の傾斜が活かされている。一部に防壁が設けられ、その下に店舗が置かれたと思われる。今日、ミーマール・スィナンもしくは鋳物工通りの名で知られているこの通りにある店舗は、もともとモスクの上部にあるテラスの下に入っていたのだ。施設群は1550〜57年に建てられた。ということは、店舗も16世紀半ばのものだ。これらの店舗は、正方形のシンプルで小さなスペースである。オスマン帝国時代、様々な種類の小規模な店が、様々な形態で存在し続けていた。」
有名なスレイマニエ火鉢はここで生産されていた
ハイリ・フェフミ・ユルマズ氏は、この場所には、一時期鋳物工の店舗があり、それがこの通りの名前の由来となったと述べ、次のように続けた。
「スレイマニエ火鉢と呼ばれる有名な火鉢が、ここで生産されていた。明らかにこの場所と通りの名前の由来となったこの鋳物工の店舗は、町の中にあるにはあまりふさわしいものではなかった、そして徐々になくなっていった。ここは近年、様々な目的で使用されていた。店舗はユニットごとにワクフに属していたため、様々な店子により使用されていた。しかし、16世紀にさかのぼる店舗の使用は条件にはなかった。こちら側は鋳物職人、鋳物工らと関係があった。火鉢よりも装飾として用いられたものであったが長い間忘れられていた。」
「再び昔の姿に戻るはずだ」
ユルマズ氏は、1950年代に行われた復元で店舗が大まかに修復されたが、歴史的建造物ふさわしいものとしてなされなかったと説明し、今回の復元により地域活性化に繋がると述べた。ユルマズ氏は、プロジェクトについて次のように述べている。
「プロジェクトの進展により、それぞれの場所にとって(ふさわしい)トルコの伝統工芸が考えられたようだ。この場所が工芸家らに使用されれば、恐らくもっと価値が上がるだろう。現在のところ極めて荒廃したようだ。イメージを空っぽにすれば、この場所は再び昔の姿に戻るはずだ。イスタンブルの経済に再び貢献するだろう。ここはイスタンブルの最も素晴らしいモスクで、最大の建造物集合体の一つと認識することが重要である。スレイマン1世の要望で、彼のワクフを支えるために、店舗群が建設されたのは明らかである。この場所を設計したのは、ミーマール・スィナンである。この店舗群を見るとき、背後にいる彼らを思い出さなければならない。なぜなら、彼らはイスタンブルにたくさんのプレゼントをしてくれたからだ。」
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( 翻訳者:甲斐さゆみ )
( 記事ID:45894 )