モロッコ:パレスチナ詩人の祭典が首都ラバトで開催(2)
2018年11月23日付 al-Hayat 紙
■没後10年を偲ぶ「マフムード・ダルウィーシュ氏inラバト」(2)
【ラバト:本紙】
マフムード・ダルウィーシュ氏(1941-2008)はアッカーの沿岸近くのビルワ村で生まれ、1948年に家族とレバノンへの避難することを余儀なくされた。休戦協定が結ばれた後の1949年に彼の家族は密かに帰還したが、村は破壊され、その地にはイスラエルの農村ができていた。マフムード・ダルウィーシュ氏は何度もイスラエル当局によって逮捕された。最初の逮捕は1961年で、政治活動に関する疑いによるものだった。1972年、彼はソビエト連邦に留学し、同年、パレスチナ解放機構に加わった。しかし、オスロ合意に抗議して同機構の執行委員を辞職した。彼の詩集には『蝶の重荷』、『私が帰るとき』、『ガリラヤで死ぬ小鳥たち』、『はかない言葉の通行人たち』、『愛しい人が眠りから覚める』、『この詩を終わらせたくない』などがある。彼はアメリカ合衆国で心臓の手術を受けた直後に亡くなった。パレスチナ自治政府のマフムード・アッバース大統領は3日間の服喪を表明し、彼の遺体は2008年8月13日、ラーマッラー市に埋葬された。
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( 翻訳者:荻野明伊 )
( 記事ID:45897 )