トプカプ宮殿で続いているハレムの修復作業で、クズラル・アアス館の床下から金銀の硬貨、イアリング、指輪などの装飾品やお守り、手紙が専門家らによって発見された。スルタン・アブデュルアズィズに仕えていた宦官長のジェヴヘル・アアの押印がある、ヒジュラ暦1288年(西暦1871年)付の手紙が箱の中から発見された。手紙は暗号によって記されていると考えられる。
オスマン帝国王家が居住しスルタンが家族と共に暮らしたハレムは、トプカプ宮殿の中で最も謎に包まれている部分として知られている。ヒュッレム、キョセム、ヌルバヌ、ギュルフェム・ハトゥンなどの歴史上重要な王妃は皆、このハレムで育った。女奴隷、皇子、王妃らが教育を受け、その人生を費やしたハレムに対して、トルコ国内外からの観光客の関心が深まっている。
ハレムには400の部屋があり、1200人近くが暮らしていた。ハレムでは2010年から修復作業が行われている。この修復作業には1億TLのコストがかかると見られており、1940年代にコンクリートで塗り固められた箇所が1つ1つ修復されているところだ。
■門の上部に跡
ハレムの修復作業では地上の木の床が撤去され、古いと見られる箱が修復されたが、その際に数世紀ぶりに明るみに出た興味深い発見がある。専門家が床の下から発掘した物から埃を払いのけると、発見されたものはマフムート2世の刻印が入った金貨・銀貨100枚以上だった。また、指輪、イアリング、ペンダントの一部や、鋏、鍵、針、ボタンなどの日用品も発掘された。
さらに箱の裏からは鋏の一部、履物の片方、装飾された衣服などが発掘された。発見された物の中には手紙、お守り、お守り付きの文書、まじない道具などがあった。お守りは今なお鍵に繋がれており、アラビア語で何かが書かれているが、誰のための物で何が書かれているのかはまだわかっていない。あるお守りの中には切った爪や1本の歯が綿に包まれて入っており、扉の上に取り付けられていたとのと推測される。
■ジェヴヘル・アアの手紙
発見された物の中で最も興味深いのは、異なる2ヶ所で見つかった手紙と封筒だ。カラアアラル館の3階では、オスマン語で”Azimetlü, veliy’ül azim efendim hazretlerine” と記された封筒が発見された。いつ、どのスルタンに向けてのものかは不明であり、博物館の書庫に保存された。クズラル・アアス館の上階の部屋の床下からは署名入りで封がされた封筒は、イスラム暦1288年5月3日(西暦1871年7月21日)の物だとのことだ。
手紙にはジェヴヘル・アアの署名が記されており、その一部は暗号で記されていることが判明している。ジェヴヘル・アアは、アブデュルアズィズの母であるペルテヴニヤル夫人に仕えた。彼はアブデュルアズィズが退位させられた翌日に宦官長の職を解任された。宦官長は、スルタンとその家族に最も近い立場にあった。
■手紙の内容は不明
ジェヴヘル・アアへの手紙の中身を解読するため、2つの大学のアラビア語文学部に助けを求めた。また、翻訳局のアラビア語を知るガイドに依頼して手紙を読んでもらった。いくつかの単語については解読できず、この手紙が暗号で記されているという見解が示されている。ジェヴヘル・アアからスレイマン・アア(誰なのかは不明)へ、メッカから送られた手紙は、一見すると健康状態を尋ねたものに見える。しかし手紙の一節で、ムヒッティン・ホジャという名の人がイスタンブルを訪れたがっていること、スレイマン・アアがいくつかの書類の作成を手伝い、ムヒッティン・ホジャを案内するということが記されている。しかし、なおもこの手紙は謎に包まれている。スレイマン・アアやムヒッティン・ホジャとは誰なのか?何の目的でイスタンブルを訪れるのか?歴史家による答えが待ち望まれている。
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( 翻訳者:神谷亮平 )
( 記事ID:45950 )