ソズジュ紙の記者と編集者に対する、「FETÖを認識した上で支援した」罪による裁判が始まった。メティン・ユルマズ編集長は陳述で、「FETÖを最初にFETÖと呼んだのは我々だ。私はこれらの動きをどれも嫌悪していた。皆フェトフッラー(・ギュレン)を信じたが、我々は信じなかった」と述べた。
ソズジュ紙のコラムニスト、エミン・チョラシャン氏、ネジャティ・ドール氏、同編集長のメティン・ユルマズ氏、インターネット版の編集長ムスタファ・チェティン氏、インターネット版の情報コーディネーター、ユジェル・アル氏に対する、「武装テロ組織内部における階層構造には加わらず、組織を認識した上で積極的に支援した」罪による裁判が、昨日始まった。
■「屈辱的な状況」
エミン・チョラシャン氏は、イスタンブル第37重罪裁判所での審理に、音声映像通信システム(SEGBİS)を通して出廷し、次のように述べた。「FETÖへの関心も関係もなかった。訴状に記された私の書いた記事のうち最初の2つについては検察は訴追しないこととした。3つ目の記事を追加して裁判を開いた。(FETÖ捜査の一環で逮捕された)ファディメ・ダヌシュマンに関する『ある母のドラマ』という私の記事についても訴えている。この女性は、3歳から6歳の子どもたちからある夜引き離され、8ヶ月の赤ん坊とともに刑務所に入れられている。その記事で批判したのはこの件だ。FETÖ派であるとしてあなた方の前に立たされることは私にとって不快で屈辱的なことである。私は否認する。」裁判長の、「あなたの以前の記事も読みました。最新の記事も読みました。12月17日から25日に FETÖの判断によるクーデター未遂があり、この企ての後、12月24日に『我々が失敗したことをフェトフッラーとそのチームが成し遂げた」、「今こそ教団を守るときだ」という題名の記事がありましたが、これらは何の目的で書いたのですか?」との質問に対し、チョラシャン氏は次のように話した。「トルコでは汚職があった。その時行われた作戦によってこれらの汚職が一掃された。」裁判長の「ギュレン派が成功したと言うのは、それを指していた?」との問いには、チョラシャン氏は。「当然そうです。他に何が?」と答えた。
メティン・ユルマズ氏は、陳述で次のように述べた。「編集長として私が記事に校正を入れるような状況はない。当紙の記者たちでさえ我々を強く批判している。それらにさえ校正を加えていない。FETÖを最初にFETÖと呼んだのは我々だ。皆フェトフッラーを信じたが、我々は信じなかった。それどころか、彼らは危険だった。」
ネジャティ・ドール氏も、訴えを認めず、次のように述べた。「私に対する訴えは非常に重いものだ。訴状では、『ナイロン・クーデター』という私の記事に重きが置かれた。この記事を、私はクーデターの夜、7月16日に書いた。ナイロンと言った意図は次の通りだ。このクーデターは失敗したブリキ缶のようなクーデターだと。私に非常に大きな汚点が投げられた。これを雪ぐため判決が下されることを望んでいる。」
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( 翻訳者:永山明子 )
( 記事ID:46132 )